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江戸時代

【基礎日本史講座:109講】江戸時代の諸外国との関係を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の諸外国との関係を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の蝦夷との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の蝦夷との関係は、7つあった。1つ目は、1604年、松前氏は、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた。2つ目は、和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、商場(場所)と呼ばれ、交易収入を家臣に与えていた。3つ目は、1669年、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い。4つ目は、田沼意次は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた。5つ目は、1798年、近藤重蔵・最上徳内らに択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱をたてさせた。6つ目は、1807年、蝦夷地の開発や防衛は、松前藩に任せた。7つ目は、1808年、間宮林蔵や松田伝十郎を樺太へ派遣した



授業をしている講師「そうだよね。例えば、1⃣は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた。1⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させたのは、田沼意次。1⃣は、田沼意次。なので、正解は、1⃣は、田沼意次

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の諸外国との関係を押さえるについて話します。江戸時代の諸外国との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の諸外国との関係は、2つある。1つ目は、幕府は、ルソン・トンキン・アンナン・カンボジア・タイなどに渡航する商人たちに海外渡航を許可する朱印状を与えた。2つ目は、朱印船貿易が盛んになると、海外に移住する日本人も増え、南方の各地に自治制を敷いた日本町が作られたことかな

授業をしている講師「江戸時代の諸外国との関係は、2つ以外に1つある。1つは、徳川家康は、国内統治者として佐渡をはじめ全国の主要な鉱山を直轄し、アンナン・ルソン・カンボジアに修好を求める外交文書を国の代表者として送ったことだよ

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師朱印状を携えた貿易船のことを何と言ったかな

授業を受けている生徒「朱印状を携えた貿易船のことを朱印船と言った

授業をしている講師「正解。例えば、朱印船と奉書船の違いを簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「朱印船は、海外渡航を許可する朱印状を携えた貿易船のこと。奉書船は、老中奉書という許可状を受けた海外渡航船のこと。なので、正解は、朱印船は、海外渡航を許可する朱印状を携えた貿易船のことです。奉書船は、老中奉書という許可状を受けた海外渡航船のことです



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の諸外国との関係を押さえるについて話しました。次回は、明治時代のヨーロッパとの関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の諸外国との関係について>
徳川家康は、国内統治者として佐渡をはじめ全国の主要な鉱山を直轄し、アンナン・ルソン・カンボジアに修好を求める外交文書を国の代表者として送った

幕府は、ルソン・トンキン・アンナン・カンボジア・タイなどに渡航する商人たちに海外渡航を許可する朱印状を与えた

朱印船貿易が盛んになると、海外に移住する日本人も増え、南方の各地に自治制を敷いた日本町が作られた

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:108講】江戸時代の蝦夷との関係を押さえる

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 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

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 今回は、「江戸時代の蝦夷との関係を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の琉球との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の琉球との関係は、3つあった。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った。3つ目は、琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する謝恩使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する慶賀使を幕府に派遣したことだった



授業をしている講師「そうだよね。例えば、1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の1⃣を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として2⃣との朝貢貿易を継続させた。1⃣・2⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として中国との朝貢貿易を継続させた。なので、1⃣は、尚氏。2⃣は、中国。正解は、1⃣は、尚氏・2⃣は、中国

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話します。江戸時代の蝦夷との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の蝦夷との関係は、7つある。1つ目は、1604年、松前氏は、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた。2つ目は、和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、商場(場所)と呼ばれ、交易収入を家臣に与えていた。3つ目は、1669年、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い。4つ目は、田沼意次は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた。5つ目は、1798年、近藤重蔵・最上徳内らに択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱をたてさせた。6つ目は、1807年、蝦夷地の開発や防衛は、松前藩に任せた。7つ目は、1808年、間宮林蔵や松田伝十郎を樺太へ派遣した







授業をしている講師「そうだよね。例えば、1604年、1⃣は、2⃣からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた。1⃣・2⃣をを埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「アイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いたのは、松前氏。松前氏にアイヌとの交易独占権を保障したのは、徳川家康。なので、1⃣は、松前氏。2⃣は、徳川家康。正解は、1⃣は、松前氏・2⃣は、徳川家康

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の諸外国との関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の蝦夷との関係について>
1604年、松前氏は、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた

和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、商場(場所)と呼ばれ、交易収入を家臣に与えていた

1669年、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い

田沼意次は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた

1798年、近藤重蔵・最上徳内らに択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱をたてさせた

1807年、蝦夷地の開発や防衛は、松前藩に任せた

1808年、間宮林蔵や松田伝十郎を樺太へ派遣した

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:107講】江戸時代の琉球との関係を押さえる

 こんにちは。

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 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の琉球との関係を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の朝鮮との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の朝鮮との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の朝鮮との関係は、3つあった。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に己酉約条を結んだ。3つ目は、朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは朝鮮通信使と呼ばれたことだった



授業をしている講師「そうだよね。例えば、朝鮮との関係も時代とともに変化して行った。室町時代の朝鮮との関係は、2つある。1つは、朝鮮が通交と倭寇の禁止を日本に求め、3代目将軍1⃣が応じ、国交が開かれたこと。もう1つは、日朝貿易は、朝鮮側は対馬の2⃣を通して通交についての制度を定め、貿易を統制したこと。しかし、安土桃山時代の朝鮮との関係は、悪化に転じて行った。悪化に転じて行った出来事は、2つある。1つは、1592年(文禄元年)、3⃣が李氏朝鮮へ派兵し、行われた4⃣。もう1つは、1597年(慶長2年)、3⃣が明征服をめざして朝鮮を侵略した5⃣。しかし、江戸時代の朝鮮との関係は、回復に向かって行った。回復に向かって行ったことをあらわすことは、3つある。1つ目は、6⃣が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をしたこと。2つ目は、1609年、対馬藩主2⃣は、朝鮮との間に7⃣を結んだこと。3つ目は、朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは8⃣と呼ばれたことだったこと。1⃣から8⃣までを埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「室町時代、朝鮮が通交と倭寇の禁止を日本に求め、国交が開いたのは、3代目将軍足利義満。なので、1⃣は、足利義満。日朝貿易は、朝鮮側は対馬の宗氏を通して通交についての制度を定めた。なので、2⃣は、宗氏。1592年(文禄元年)、李氏朝鮮へ派兵したのは、豊臣秀吉。1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が氏朝鮮へ派兵し、行われたのは、文禄の役。1597年(慶長2年)、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮を侵略したのは、慶長の役。なので、3⃣は、豊臣秀吉。4⃣は、文禄の役。5⃣は、慶長の役。江戸時代、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をしたことのは、徳川家康。なので、6⃣は、徳川家康。1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に結んだのは、己酉約条。なので、7⃣は、己酉約条。朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは朝鮮通信使と呼ばれた。なので、8⃣は、朝鮮通信使。正解は、1⃣は、足利義満・2⃣は、宗氏・3⃣は、豊臣秀吉・4⃣は、文禄の役・5⃣は、慶長の役・6⃣は、徳川家康・7⃣は、己酉約条・8⃣は、朝鮮通信使





授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話します。江戸時代の琉球との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の琉球との関係は、3つある。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った。3つ目は、琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する謝恩使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する慶賀使を幕府に派遣したこと

授業をしている講師「そうだよね。1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、どうだったかな

授業を受けている生徒「1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として中国との朝貢貿易を継続させた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する慶賀使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する謝恩使を幕府に派遣したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「琉球が、国王の代わりごとに派遣したのは、謝恩使。将軍が代わるごとに派遣したのは、慶賀使。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の琉球との関係について>
徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした

1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った
薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として中国との朝貢貿易を継続させた

琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する謝恩使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する慶賀使を幕府に派遣した

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【基礎日本史講座:106講】江戸時代の朝鮮との関係を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の朝鮮との関係を押さえる」について話して行きます。

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授業をしている講師「前回は、江戸時代の中国との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の中国との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の中国との関係は、5つある。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1616年、中国船を除く外国船の寄港地を平戸と長崎に制限した。3つ目は、1635年、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し、九州各地に寄港していた中国船を長崎に限った。4つ目は、1685年、中国船から輸入額を制限した。5つ目は、1689年、長崎の町に雑居していた清国人の居住地を限定するため唐人屋敷を設けたことだった



授業をしている講師「そうだよね。例えば、中国船は、江戸時代の間、平戸と長崎を寄港地とすることができたと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒1635年、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し、九州各地に寄港していた中国船を長崎に限った。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、徳川家康は、明との関係だけに積極的だったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「徳川家康は、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。また徳川家康は、スペイン領のメキシコ(ノビスパン)との通商を求め、京都の商人田中勝介を派遣した。なので、正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の朝鮮との関係を押さえるについて話します。江戸時代の朝鮮との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の朝鮮との関係は、3つある。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に己酉約条を結んだ。3つ目は、朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは朝鮮通信使と呼ばれたことかな



授業をしている講師「そうだよね。1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に己酉約条を結んだ結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に己酉約条を結んだ結果、釜山に倭館が設置され、宗氏は朝鮮外交上の特権的な地位を認められた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、4回目から朝鮮通信使と呼ばれた朝鮮の使節が3回目まで来日した目的を簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「うーん。江戸時代から少しだけ朝鮮関係を遡ると、1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が李氏朝鮮へ派兵し、行われた合戦の文禄の役と1597年(慶長2年)、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮を侵略した戦争の慶長の役が起こった。なので、文禄の役と慶長の役の朝鮮人の捕虜返還が目的で行われたと判断できる。正解は、4回目から朝鮮通信使と呼ばれた朝鮮の使節が3回目まで来日した目的は、1592年に起きた文禄の役と1597年に起きた慶長の役の朝鮮人の捕虜返還ですかな



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の朝鮮との関係を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の朝鮮との関係について>
徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした

1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に己酉約条を結んだ
釜山に倭館が設置され、宗氏は朝鮮外交上の特権的な地位を認められた

朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは朝鮮通信使と呼ばれた

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【基礎日本史講座:105講】江戸時代の中国との関係を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の中国との関係を押さえる」について話して行きます。

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授業をしている講師「前回は、江戸時代のロシアとの関係を押さえるについて話しました。江戸時代のロシアとの関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代のロシアとの関係は、6つあった。1つ目は、1792年、ロシア使節ラクスマンが根室に来航し、漂流民を届けるとともに通商を求めた。2つ目は、1804年、ロシア使節レザノフが、ラクスマンの持ち帰った入港許可証を持ち、長崎に来航した。しかし、幕府は、正式な使節に冷淡な対応をし、追い返した。3つ目は、1811年、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニンらが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、日本に抑留されたゴローニン事件。4つ目は、1853年7月、ロシア使節プチャーチンが、長崎に来、開国と国境の画定を要求した。5つ目は、1855年、幕府は、ロシアと日米和親条約と類似した内容で日露和親条約を結んだ。6つ目は、1858年、幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダとの間に安政五カ国条約を締結した



授業をしている講師「そうだよね。例えば、江戸時代のロシアとの関係で押さえておくことは、6つあります。1つ目は、1792年、ロシア使節1⃣が2⃣に来航し、漂流民を届けるとともに通商を求めたこと。2つ目は、1804年、ロシア使節3⃣が、1⃣の持ち帰った入港許可証を持ち、4⃣に来航した。しかし、幕府は、正式な使節に冷淡な対応をし、追い返したこと。3つ目は、1811年、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長の5⃣らが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、日本に抑留された6⃣。4つ目は、1853年7月、ロシア使節7⃣が、4⃣に来、開国と国境の画定を要求したこと。5つ目は、1855年、幕府は、ロシアと日米和親条約と類似した内容で8⃣を結んだこと。6つ目は、1858年、幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダとの間に9⃣を締結したことです。1⃣から9⃣を埋めなさい。また下線部の結果、何が起きたのか簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1792年、漂流民を届けるとともに通商を求めたのは、ロシア使節ラクスマン。ロシア使節ラクスマンが来航したのは、根室。なので、1⃣は、ラクスマン。2⃣は、根室。1804年、ラクスマンの持ち帰った入港許可証を持ち、来航したのは、ロシア使節レザノフ。ロシア使節レザノフが来航したのは、長崎。なので、3⃣は、レザノフ。4⃣は、長崎。1811年、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長が国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、日本に抑留されたのは、ゴローニン事件。軍艦ディアナ号艦長は、ヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニン。なので、5⃣は、ヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニン。6⃣は、ゴローニン事件。1853年7月、長崎に来、開国と国境の画定を要求したのは、ロシア使節プチャーチン。なので、7⃣は、プチャーチン。1855年、幕府が、ロシアとの間で結んだ日米和親条約と類似した内容の条約は、日露和親条約。なので、8⃣は、日露和親条約。1858年、幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダとの間に締結したのは、安政五カ国条約。なので、9⃣は、安政五カ国条約。幕府が、正式な使節に冷淡な対応をし、追い返した結果、ロシア船は樺太や択捉島を攻撃した。なので、正解は、1⃣は、ラクスマン・2⃣は、根室・3⃣は、レザノフ・4⃣は、長崎・5⃣は、ヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニン・6⃣は、ゴローニン事件・7⃣は、プチャーチン・8⃣は、日露和親条約・9⃣は、安政五カ国条約・幕府が、正式な使節に冷淡な対応をし、追い返した結果、ロシア船は樺太や択捉島を攻撃しました

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の中国との関係を押さえるについて話します。江戸時代の中国との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の中国との関係は、4つある。1つ目は、1616年、中国船を除く外国船の寄港地を平戸と長崎に制限した。2つ目は、1635年、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し、九州各地に寄港していた中国船を長崎に限った。3つ目は、1685年、中国船から輸入額を制限した。4つ目は、1689年、長崎の町に雑居していた清国人の居住地を限定するため唐人屋敷を設けたことかな



授業をしている講師「残念ながら、江戸時代の中国との関係は、4つ以外に1つある。4つ以外の1つは、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をしたことだよ

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした結果、明から拒否された

授業をしている講師「そうだよね。例えば、唐人屋敷を設けた理由を簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「唐人屋敷を設けた理由は、長崎の町に雑居していた清国人の居住地を限定するため。なので、正解は、唐人屋敷を設けた理由は、長崎の町に雑居していた清国人の居住地を限定するためです

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の中国との関係を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の朝鮮との関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の中国との関係について>
徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした
明から拒否された

1616年、中国船を除く外国船の寄港地を平戸と長崎に制限した

1635年、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し、九州各地に寄港していた中国船を長崎に限った

1685年、中国船から輸入額を制限した

1689年、長崎の町に雑居していた清国人の居住地を限定するため唐人屋敷を設けた

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