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大正時代

【基礎日本史講座:84講】大正時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度について話しました。1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年までの制度は、15個あった。1つ目は、1886年、森有礼文部大臣のもとで、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備した学校令。2つ目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例。3つ目は、1888年、政府が国会開設に先立ち地方統治構造を固めるために制定された市制・町村制。4つ目は、1889年2月11日、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。また天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた大日本帝国憲法(明治憲法)。5つ目は、1889年2月11日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた皇室典範。6つ目は、1890年、地方自治制度の一環として制定された府県制・郡制。7つ目は、1890年、忠君愛国が学校教育の基本であることを強調した教育に関する勅語(教育勅語)。8つ目は、1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった貨幣法。9つ目は、1899年、第2次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために文官任用令改正。10個目は、1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった治安警察法。11個目は、1900年、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを明記した軍部大臣現役武官制。12個目は、1903年、小学校の教科書を文部省の著作に限ることを定めた固定教科書。13個目は、1906年、第1次西園寺公望内閣が、軍事的な配慮もあり、全国鉄道網の統一管理を目指した鉄道国有法。14個目は、1908年、政府が、勤倹節約・皇室の尊重を国民に求めた戊申詔書。15個目は、1911年、政府が、労働条件を改善し労資対立を緩和しようとする社会政策の立場で制定した工場法

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1889年2月11日、天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた大日本帝国憲法(明治憲法)が定められた。同日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた皇室典範が定められた。下線部の大日本帝国憲法(明治憲法)の特徴を4文字で表しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大日本帝国憲法(明治憲法)は、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。なので、正解は、欽定憲法



授業をしている講師「そうだよね。例えば、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを何と言うか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを軍部大臣現役武官制と言う。なので、正解は、軍部大臣現役武官制

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の制度を押さえるについて話します。大正時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の制度は、3つある。1つ目は、1919年、原敬内閣が、選挙権の納税資格を3円以上に引き上げ、導入した小選挙区制。2つ目は、1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた治安維持法。3つ目は、1925年、加藤高明内閣が、満25歳以上の男性が衆議院議員の選挙権を持つことを定めた普通選挙法かな

授業をしている講師「そうだよね。小選挙区制の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「小選挙区制の結果、普通選挙を要求する運動が高まり、1920年、数万人規模の示威行動が起こった

授業をしている講師「そうだよね。例えば、原敬内閣が、満25歳以上の男性が衆議院議員の選挙権を持つことを定めた普通選挙法を制定したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「原敬内閣は、1919年、選挙権の納税資格を3円以上に引き上げ、小選挙区制を導入した。普通選挙法を制定したのは、加藤高明内閣。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、治安警察法と治安維持法の違いが分かるに簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「治安警察法は、1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった。治安維持法は、1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた。なので、正解は、治安警察法は、1900年、第2次山県有朋内閣が、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まりました。一方、治安維持法は、1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めましたかな

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の制度について>
小選挙区制→1919年、原敬内閣が、選挙権の納税資格を3円以上に引き上げ、導入した
普通選挙を要求する運動が高まり、1920年、数万人規模の示威行動が起こった

治安維持法→1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた

普通選挙法→1925年、加藤高明内閣が、満25歳以上の男性が衆議院議員の選挙権を持つことを定めた

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:68講】大正時代の景気を押さえる

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 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の景気を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、平成時代の天災を押さえるについて話しました。平成時代の天災は、何があったかな

授業を受けている生徒「平成時代の天災は、3つある。1つ目は、1995年1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源とし、マグニチュード7.3(震度7) の大地震の阪神・淡路大震災。2つ目は、1995年12月8日、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉において2次主冷却系配管からナトリウムが漏えいする事故が起こった高速増殖炉「もんじゅ」の事故。3つ目は、2011年3月11日14時46分18.1秒、東北地方太平洋沖の大地震(マグニチュード9・最大震度7)による災害及び東北地方太平洋沖地震による災害に伴う福島第一原子力発電所事故に拠る災害が起こった東日本大震災

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢を新しい順に並び変えなさい。A高速増殖炉「もんじゅ」の事故 B阪神・淡路大震災 C東日本大震災と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A高速増殖炉「もんじゅ」の事故 は、1995年12月8日。B阪神・淡路大震災は、1995年1月17日。 C東日本大震災は、2011年3月11日。なので、正解は、C→A→B



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の景気を押さえるについて話します。大正時代の景気は、どのような状態だったか分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の景気は、2つの景気がある。1つは、1915年から1920年、空前の好況が資本家を潤し、成金を生み出した。しかし、物価高騰に苦しむ多数の民衆が存在した大戦景気。もう1つは、1920年、株式市場の暴落した戦後恐慌

授業をしている講師「そうだよね。どうして大戦景気になったのかな

授業を受けている生徒「大戦景気になった理由は、第一次世界大戦勃発かな



授業をしている講師「そうだよね。大戦景気中、どのようなことが起きたかな

授業を受けている生徒「大戦景気中に起きたことは、主に3つある。1つ目は、世界的な船舶不足の結果、海軍業・造船業は、空前の好況となった。海軍業・造船業が空前の好況となった結果、船成金が続出した。2つ目は、日本はイギリス・アメリカにつぐ世界第3位の海運国となった。3つ目は、重化学工業は、工業生産額の30%の比重を占めた。工業生産額の30%の比重を占めた結果、中国で工場経営を行う紡績業(在華紡)が急拡大した

授業をしている講師「そうだよね。大戦景気の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「大戦景気の結果、農業の発展は、停滞的だった

授業をしている講師「そうだよね。どうして戦後恐慌になったのかな

授業を受けている生徒「戦後恐慌になった理由は、第一次世界大戦終結かな

授業をしている講師「そうだよね。第一次世界大戦終結したことで、どうなったかな

授業を受けている生徒「第一次世界大戦終結したことで、1919年から貿易は輸入超過になり、重化学工業製品の輸入が増加した。貿易は輸入超過になり、重化学工業製品の輸入が増加したの結果、国内生産を圧迫した

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大戦景気と戦後恐慌ともに関係があることを答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大戦景気になった理由は、第一次世界大戦勃発。戦後恐慌になった理由は、第一次世界大戦終結。なので、正解は、第一次世界大戦

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大戦景気の内閣を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大戦景気は、1915年から1920年。1914年4月16日から1916年10月9日の内閣総理大臣は、大隈重信。1916年10月9日から1918年9月29日の内閣総理大臣は、寺内正毅。1918年9月29日から1921年11月4日の内閣総理大臣は、原敬。なので、正解は、大戦景気の時の内閣は、大隈重信内閣・寺内正毅内閣・原敬内閣



授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師「そうだよね。大正時代で思い出す人物は、誰かな

授業を受けている生徒「大正時代で思い出す人物は、大正時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の景気を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の景気を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の景気について>
大戦景気→1915年から1920年、空前の好況が資本家を潤し、成金を生み出した。しかし、物価高騰に苦しむ多数の民衆が存在した
農業の発展は、停滞的だった

戦後恐慌→1920年、株式市場の暴落した

<大戦景気中に起きたことについて>
世界的な船舶不足の結果、海軍業・造船業は、空前の好況となった
船成金が続出した

日本はイギリス・アメリカにつぐ世界第3位の海運国となった

重化学工業は、工業生産額の30%の比重を占めた
中国で工場経営を行う紡績業(在華紡)が急拡大した

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:65講】大正時代の天災を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の天災を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、明治時代の天災を押さえるについて話しました。明治時代の天災は、何があったかな

授業を受けている生徒「明治時代の天災は、1891年、足尾銅山(栃木県)の鉱毒が渡良瀬川流域の農漁業に深刻な被害をもたらした足尾鉱毒事件

授業をしている講師「そうだよね。例えば、栃木県選出の衆議院議員田中正造が議会で政府に銅山の操業停止を迫ったきっかけになった事件を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「栃木県選出の衆議院議員田中正造が議会で政府に銅山の操業停止を迫ったきっかけは、1891年、足尾鉱毒事件。なので、正解は、足尾鉱毒事件



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の天災を押さえるについて話します。大正時代の天災は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の天災は、1923年9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源とし、マグニチュード7.9(最大震度7)の大地震の関東大震災だけかな

授業をしている講師「そうだよね。関東大震災後の混乱期に何が起こったかな

授業を受けている生徒「関東大震災後の混乱期に起こったことは、3つある。1つ目は、中国人に対する殺傷事件。2つ目は、1923年9月4日夜、亀戸警察構内で警備に当たっていた軍隊によって社会主義者10人が殺害された。3つ目は、1923年9月16日、憲兵によって大杉栄・伊藤野枝・大杉栄の甥が殺害された

授業をしている講師「そうだよね。例えば、関東大震災後の混乱期、市民・警察・軍が武力や暴力を行使しなかったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「関東大震災後の混乱期に3つのことが、起こった。1つ目は、中国人に対する殺傷事件。2つ目は、1923年9月4日夜、亀戸警察構内で警備に当たっていた軍隊によって社会主義者10人が殺害された。3つ目は、1923年9月16日、憲兵によって大杉栄・伊藤野枝・大杉栄の甥が殺害された。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、関東大震災が起きた時の内閣は、加藤友三郎内閣だったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「関東大震災が起きたのは、1923年9月1日。加藤友三郎の在任期間は、1922年6月12日から1923年8月24日。1923年9月2日から在任したのは、山本權兵衛。首相不在の間、臨時首相として震災発生時の緊急対応を行ったのは、前外務大臣内田康哉。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師「そうだよね。大正時代で思い出す人物は、誰かな

授業を受けている生徒「大正時代で思い出す人物は、大正時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の天災を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の天災を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の天災について>
関東大震災→1923年9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源とし、マグニチュード7.9(最大震度7)の大地震
中国人に対する殺傷事件
1923年9月4日夜、亀戸警察構内で警備に当たっていた軍隊によって社会主義者10人が殺害された
1923年9月16日、憲兵によって大杉栄・伊藤野枝・大杉栄の甥が殺害された

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:58講】大正時代の条約を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の条約を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、明治時代の条約を押さえるについて話しました。明治時代の条約は、何があったかな

授業を受けている生徒「明治時代の条約は、17個あった。1つ目は、1871年、清国に使節を派遣し、相互に開港し、領事裁判権を認め合うことなどを定めた日清修好条規。2つ目は、1875年、日本とロシア帝国との間で1854年の日露通好条約で雑居・共有としていた樺太で頻発していた日露両国人の紛争を無くすために国境を確定させた樺太・千島交換条約。3つ目は、1876年、釜山・仁川・元山を開港させ、日本の領事裁判権や関税免除を認めさせた日朝修好条規(江華条約)。4つ目は、1885年、天津で伊藤博文・李鴻章を全権大使とし結ばれた天津条約。5つ目は、1894年、領事裁判権の撤廃と関税の引き上げ・相互対等の最恵国待遇を内容とする日英通商航海条約。6つ目は、1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章との間で、清国は朝鮮の独立を認める、遼東半島および台湾・澎湖諸島を日本に譲る、賠償金2億両(当時の日本貨で約3億1000万円)を支払う、新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港などを内容とする下関条約。7つ目は、1899年、日英通商航海条約を発効した改正条約。8つ目は、1901年、日本を含む列国は、清国政府に対し、巨額の賠償金、首都北京の公使館所在区域の治外法権、公使館守備隊の駐在などを承認させた北京議定書。9つ目は、1902年、第一次日英同盟協約。10個目は、1904年、日本が推薦する財政・外交顧問を韓国政府におき、重要な外交案件は、事前に日本政府と協議することを認めさせた第一次日韓協約。11個目は、1905年、日本の韓国保護国化を承認させた第二次日英同盟協約。12個目は、1905年9月、セオドア・ローズヴェルトアメリカ大統領の斡旋によって、アメリカのポーツマスで日本全権小村寿太郎とロシア全権ウィッテが調印したポーツマス条約。13個目は、1905年、韓国の外交権を奪い、漢城に韓国の外交を統括する統括府を置くことなどが締結された第二次日韓協約。14個目は、1907年、第三次日韓協約。15個目は、1910年、韓国皇帝が韓国の一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲与すること、日本国皇帝はこの譲与を受諾し韓国を日本に併合することを承諾することとした韓国併合条約。16個目は、1911年、関税自主権が完全に回復した日米新通商航海条約。17個目は、1911年、第三次日英同盟協約

授業をしている講師「そうだよね。例えば、日米修好通商条約は、1911年、関税自主権が完全に回復したことであると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「日米修好通商条約は、1858年6月、大老井伊直弼は勅許を得られないまま日本とアメリカのタウンゼント・ハリスとの間で治外法権・関税自主権欠如などが規定されたこと。1911年、関税自主権が完全に回復したのは、日米新通商航海条約。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。例えば、日英同盟協約は、第三次まで結ばれた。しかし、日韓協約は第二次までしか結ばれなかったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第一次日英同盟協約は、1902年。第二次日英同盟協約は、1905年。第三次日英同盟協約は、1911年。なので、日英同盟協約は、第三次まで結ばれた。第一次日韓協約は、1904年。第二次日韓協約は、1905年。第三次日韓協約は、1907年。なので、日韓協約も第三次まで結ばれた。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、樺太・千島交換条約について簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「樺太・千島交換条約は、1875年、日本とロシア帝国との間で1854年の日露通好条約で雑居・共有としていた樺太で頻発していた日露両国人の紛争を無くすために国境を確定させたこと。なので、正解は、樺太・千島交換条約は、1875年、日本とロシア帝国との間で1854年の日露通好条約で雑居・共有としていた樺太で頻発していた日露両国人の紛争を無くすために国境を確定させたこと

授業をしている講師「そうだよね。例えば、下関条約の主な内容を4つ答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「下関条約は、1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章との間で、清国は朝鮮の独立を認める、遼東半島および台湾・澎湖諸島を日本に譲る、賠償金2億両(当時の日本貨で約3億1000万円)を支払う、新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港などを内容とした。なので、正解は、1つ目は、清国は朝鮮の独立を認める。2つ目は、遼東半島および台湾・澎湖諸島を日本に譲る。3つ目は、賠償金2億両(当時の日本貨で約3億1000万円)を支払う。4つ目は、新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港する



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の条約を押さえるについて話します。大正時代の条約は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の条約は、6つあった。1つ目は、1917年、アメリカが、第一次世界大戦に参戦するに当たり、太平洋方面の安定確保が必要だったため、特派大使石井菊次郎と国務長官ランシングとの間で、中国の領土保全・門戸開放、日本は中国に特殊利益を持つことを認め、公文を交換した石井・ランシング協定。2つ目は、1919年、ドイツ側に巨額の賠償金を課す、軍備制限、ドイツ本国領土の一部を割譲させる。日本は、西園寺公望・牧野伸顕らを全権委員を送り、山東省の旧ドイツ権益の継承を認められ、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸国の委任統治権を得たヴェルサイユ条約。3つ目は、1921年、アメリカ・イギリス・日本・フランスの間で、太平洋諸国の現状維持、太平洋問題に原因する紛争の話合いによる解決を決めた四カ国条約。4つ目は、1922年、アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国の間で、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上門戸開放・機会均等を内容とした九カ国条約。5つ目は、1922年、アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリアの間で、①主力艦の保有比率をアメリカ・イギリス各5、日本3、フランス・イタリア各1.67、②今後10年間、主力艦の建造禁止することを内容としたワシントン海軍軍縮条約。6つ目は、1925年、日本は、ソ連との国交を樹立し、北樺太から撤兵と引き換えに北樺太地方の油田の半分の開発権を獲得した日ソ基本条約

授業をしている講師「残念ながら、大正時代の条約は、石井・ランシング協定・ヴェルサイユ条約・四カ国条約・九カ国条約・海軍軍縮条約・日ソ基本条約以外に3つある。1つ目は、1915年、山東省に関する条約。2つ目は、1915年、日本は、ロシアから継承した旅順・大連、南満州鉄道の租借期限を99年間延長させることが認められた南満州及び東部内蒙古に関する条約。3つ目は、1922年、英米側の仲介に基づいて、日中間の交渉が持たれ、山東半島の旧ドイツ権益を中国へ返還を内容とする山東懸案解決条約

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師四カ国条約の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「四カ国条約の結果、日英同盟協約が終了した

授業をしている講師「そうだよね。九カ国条約の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「九カ国条約の結果、石井・ランシング協定が破棄された

授業をしている講師「そうだよね。四カ国条約・九カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約は、何の会議で結ばれたかな

授業を受けている生徒「四カ国条約・九カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約は、1921年11月12日から1922年2月6日まで開催されていたワシントン会議

授業をしている講師「そうだよね。ワシントン会議において四カ国条約・九カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約以外に何が行われたかな

授業を受けている生徒「ワシントン会議において四カ国条約・九カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約以外に行われたことは、英米側の仲介に基づいて、1922年、日中間の交渉が持たれ、山東半島の旧ドイツ権益を中国へ返還する山東懸案解決条約

授業をしている講師「そうだよね。例えば、ヴェルサイユ条約と五・四運動は、無関係であると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「ヴェルサイユ条約の内容の中に日本は、西園寺公望・牧野伸顕らを全権委員を送り、山東省の旧ドイツ権益の継承を認められ、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸国の委任統治権を得た内容がある。五・四運動は、1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動。ヴェルサイユ条約と五・四運動は、関係がある。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。例えば、第一次世界大戦とヴェルサイユ条約の関連性について説明しなさいと問題が出題されたとする。どのように考えれば良いかな

授業を受けている生徒「第一次世界大戦は、1914年7月から起きた。第一次世界大戦の結果、1918年11月、ドイツが負けを認めて降伏し、休戦した。ヴェルサイユ条約は、1919年、ドイツ側に巨額の賠償金を課す、軍備制限、ドイツ本国領土の一部を割譲させる。日本は、西園寺公望・牧野伸顕らを全権委員を送り、山東省の旧ドイツ権益の継承を認められ、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸国の委任統治権を得たこと。なので、第一次世界大戦の開始・ドイツ降伏・ヴェルサイユ条約の内容を説明すれば良い

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1922年、山東懸案解決条約で認められた山東半島の旧ドイツ権益は、何年、何で認めたのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「うーん。五・四運動が、1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動だった。なので、山東半島の旧ドイツ権益の話は、二十一カ条の要求と関係があるのかな。1915年5月、二十一カ条の要求の大部分を認めたことを2つの条約にしたんだった。1つは、1915年、山東省に関する条約。もう1つは、1915年、日本は、ロシアから継承した旅順・大連、南満州鉄道の租借期限を99年間延長させることが認められた南満州及び東部内蒙古に関する条約。なので、正解は、1915年、山東省に関する条約

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師大正時代で思い出す何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「大正時代で思い出す何か思い出すことは、大正時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の条約を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の条約を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の条約について>
山東省に関する条約→1915年

南満州及び東部内蒙古に関する条約→1915年、日本は、ロシアから継承した旅順・大連、南満州鉄道の租借期限を99年間延長させることが認められた

石井・ランシング協定→1917年、アメリカが、第一次世界大戦に参戦するに当たり、太平洋方面の安定確保が必要だったため、特派大使石井菊次郎と国務長官ランシングとの間で、中国の領土保全・門戸開放、日本は中国に特殊利益を持つことを認め、公文を交換した

ヴェルサイユ条約→1919年、ドイツ側に巨額の賠償金を課す、軍備制限、ドイツ本国領土の一部を割譲させる。日本は、西園寺公望・牧野伸顕らを全権委員を送り、山東省の旧ドイツ権益の継承を認められ、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸国の委任統治権を得た

四カ国条約→1921年、アメリカ・イギリス・日本・フランスの間で、太平洋諸国の現状維持、太平洋問題に原因する紛争の話合いによる解決を決めた
日英同盟協約が終了した

九カ国条約→1922年、アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国の間で、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上門戸開放・機会均等を内容とした
石井・ランシング協定が破棄された

ワシントン海軍軍縮条約→1922年、アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリアの間で、①主力艦の保有比率をアメリカ・イギリス各5、日本3、フランス・イタリア各1.67、②今後10年間、主力艦の建造禁止することを内容とした

山東懸案解決条約→1922年、英米側の仲介に基づいて、日中間の交渉が持たれ、山東半島の旧ドイツ権益を中国へ返還を内容とする
山東省に関する条約の解決

日ソ基本条約→1925年、日本は、ソ連との国交を樹立し、北樺太から撤兵と引き換えに北樺太地方の油田の半分の開発権を獲得した

<ワシントン会議で行われたことについて>
四カ国条約

九カ国条約

ワシントン海軍軍縮条約

山東懸案解決条約

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:50講】大正時代の乱を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)までの乱について話しました。1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)までの乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)までの乱は、11個あった。1つ目は、1882年(明治15年)、朝鮮の漢城で日本への接近を進める国王高宗の外戚閔氏一族に反対する大院君を支持する軍隊が反乱を起こした。軍隊が反乱を起こしたことに呼応し、民衆が、日本公使館を包囲した壬午軍乱(壬午事変)。2つ目は、1884年(明治17年)、日本と組んで朝鮮の近代化をはかろうとした金玉均らの日改革派(独立党)は、日本公使館の援助を得て、クーデターを起こした。しかし、清国軍の来援で失敗した甲申事変。3つ目は、1887年(明治20年)、自由民権論者が、 外交の回復・地租の軽減・言論の自由の三つを要求して元老院に建白書を提出した。しかし、政府は保安条例を制定して民権派を東京から追放した三大事件建白運動。4つ目は、1891年(明治24年)、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)一行が、人力車で大津の京町筋を通行した際、路上警備をしていた津田三蔵巡査が突然、剣を抜き、皇太子の頭部を斬りつけた大津事件。5つ目は、1894年(明治27年)、朝鮮で東学の信徒の農民を中心に減税と排日を要求をした甲午農民戦争(東学の乱)。6つ目は、1894年(明治27年)、ロシアの支配が、東アジアにまで拡大されていた。なので、危機感を抱いた日本は、ロシアの勢力支配が自国に及ばぬよう、まだどの国からも支配されていなかった朝鮮半島を支配することを考え、清国に宣戦した日清戦争。7つ目は、1900年、清国では、「扶清滅洋」を唱える排外主義団体義和団が、勢力を増し、各地で外国人を襲い、北京の列国公使館を包囲した。清国政府も義和団に同調し、列国に宣戦を布告した義和団事件(北清事変)。8つ目は、1904年(明治37年)2月、日本とロシアは互いに宣戦を布告した日露戦争。9つ目は、1905年(明治38年)、国民が賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させ、ポーツマス条約調印の日に開かれた講和反対国民大会が暴動化した日比谷焼打ち事件。10個目は、1910年(明治43年)、明治天皇暗殺を計画したとの容疑で多数の社会主義者・無政府主義者が、逮捕・処刑された大逆事件。11個目は、1910年(明治43年)、日本政府は、韓国併合条約を強要し、韓国を植民地化した韓国併合

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大津事件で襲われたのは、誰か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大津事件は、1891年(明治24年)、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)一行が、人力車で大津の京町筋を通行した際、路上警備をしていた津田三蔵巡査が突然、剣を抜き、皇太子の頭部を斬りつけた。なので、正解は、ニコライ

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢を古い順番で並べ替えなさい。A日清戦争 B日露戦争と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A日清戦争は、1894年(明治27年)。B日露戦争は、1904年(明治37年)2月。なので、正解は、A→B

授業をしている講師「そうだよね。例えば、日清戦争が行ったきっかけは、何か簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「日清戦争は、ロシアの支配が、東アジアにまで拡大されていた。なので、危機感を抱いた日本は、ロシアの勢力支配が自国に及ばぬよう、まだどの国からも支配されていなかった朝鮮半島を支配することを考え、清国に宣戦した。なので、正解は、日清戦争が行ったきっかけは、ロシアの支配が、東アジアにまで拡大されていた。なので、危機感を抱いた日本は、ロシアの勢力支配が自国に及ばぬよう、まだどの国からも支配されていなかった朝鮮半島を支配することを考えたこと

授業をしている講師「そうだよね。例えば、日比谷焼打ち事件は、どうして起こったのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「日比谷焼打ち事件は、国民が賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させ、ポーツマス条約調印の日に開かれた講和反対国民大会が暴動化した事件。なので、正解は、日比谷焼打ち事件は、賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させたことで起こった



授業をしている講師1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)で何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)で思い出すことは、内閣制度が始まったこと

授業をしている講師「そうだよね。1885年~1912年の内閣総理大臣は、何代までだったかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年の内閣総理大臣は、第14代までだった」



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の乱を押さえるについて話します。早速だけど、大正時代の乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の乱は、9つあった。1つ目は、1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった第一次護憲運動。2つ目は、1913年(大正2年)2月、桂太郎内閣が在職50日余りで退陣した大正政変。3つ目は、1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器に輸入をめぐり海軍高官が汚職したシーメンス事件。4つ目は、1914年、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦した第一次世界大戦。5つ目は、1918年(大正8年)8月、寺内正毅内閣は、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定したシベリア出兵。6つ目は、1918年(大正7年)、日本で発生した米の価格急騰に伴って起こった米騒動。7つ目は、1919年3月1日、民族自決の国際世論の高まりを背景に、東京在住の朝鮮人学生・日本支配下の朝鮮の学生・宗教団体を中心に朝鮮独立を求める運動が盛り上がった。また京城(現ソウル)のパコダ公園(タプッコル公園)で独立宣言朗読会が行われたことをきっかけで起こった朝鮮全土で独立を求めた三・一独立運動。8つ目は、1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動の五・四運動。9つ目は、1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、憲政擁護運動を起こした第二次護憲運動

授業をしている講師「そうだよね。第一次世界大戦の結果は、どうだったかな

授業を受けている生徒「第一次世界大戦の結果は、1918年11月、ドイツが負けを認めて降伏し、休戦した。また1919年6月、パリで調和会議が開かれ、日本も5大連合国の一員として全権西園寺公望・牧野伸顕らを送り、ヴェルサイユ条約が調印された

授業をしている講師「そうだよね。例えば、第一次護憲運動は、1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党が、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、起こした憲政擁護運動であると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第一次護憲運動は、1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった運動。1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党が、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、起こした憲政擁護運動は、第二次護憲運動。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大正政変で退陣した内閣は、何内閣か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大正政変で退陣した内閣は、桂太郎内閣。なので、正解は、桂太郎内閣

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の乱について>
第一次護憲運動→1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった

大正政変→1913年(大正2年)2月、桂太郎内閣が在職50日余りで退陣した

シーメンス事件→1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器に輸入をめぐり海軍高官が汚職した

第一次世界大戦→1914年、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦した
1918年11月、ドイツが負けを認めて降伏し、休戦した
1919年6月、パリで調和会議が開かれ、日本も5大連合国の一員として全権西園寺公望・牧野伸顕らを送り、ヴェルサイユ条約が調印された

シベリア出兵→1918年(大正8年)8月、寺内正毅内閣は、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定した

米騒動→1918年(大正7年)、日本で発生した米の価格急騰に伴って起こった

三・一独立運動→1919年3月1日、民族自決の国際世論の高まりを背景に、東京在住の朝鮮人学生・日本支配下の朝鮮の学生・宗教団体を中心に朝鮮独立を求める運動が盛り上がった。また京城(現ソウル)のパコダ公園(タプッコル公園)で独立宣言朗読会が行われたことをきっかけで起こった朝鮮全土で独立を求めた

五・四運動→1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動

第二次護憲運動→1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、憲政擁護運動を起こした

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