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【基礎日本史講座:54講】平成時代の乱を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「平成時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱について話しました。1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱は、5つあった。1つ目は、1950年6月、中国革命の成功に触発された北朝鮮が、武力統一を目指し北緯38度線を越えて韓国に侵入した朝鮮戦争。2つ目は、1952年(昭和27年)5月1日、メーデー中央集会のデモ隊が使用不可とされた皇居前広場に入り、警察隊とデモ隊が衝突した血のメーデー事件。3つ目は、1954年(昭和30年)、原水爆の製造・実験・使用の禁止と廃棄を求める原水爆禁止運動。4つ目は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)・1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で行われた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員・労働者・学生・市民・批准そのものに反対する左翼・新左翼の運動家が参加した反政府・反米運動とそれに伴う大規模デモ運動の60年安保闘争。5つ目は、1976年(昭和51年)2月、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐり、世界的な大規模汚職事件のロッキード事件

授業をしている講師「そうだよね。例えば、破壊活動防止法について説明しなさいと問題が出題されたとする。どのように考えれば良いかな

授業を受けている生徒「破壊活動防止法について説明しなさいと問題が出題された場合、破壊活動防止法の内容だけを解答すれば良いのかな」

授業をしている講師「残念ながら、破壊活動防止法について説明しなさいと問題が出題された場合、破壊活動防止法の内容だけを解答したとしても、半分の点数も積み上げることはできない。どうして破壊活動防止法の内容だけを解答したとしても、半分の点数も積み上げることはできないのか分かるかな

授業を受けている生徒「破壊活動防止法の内容だけを解答したとしても、半分の点数も積み上げることはできない理由は、因果関係を書いていないからかな

授業をしている講師「そうだよね。破壊活動防止法について説明しなさいと問題が出題された場合、3つのことを説明する必要がある。1つ目は、どうして破壊活動防止法を成立させることになったのか。2つ目は、破壊活動防止法の内容。3つ目は、破壊活動防止法を成立させた結果、どうなったのかを説明する必要がある

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師例えば、60年安保闘争は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、日本で行われた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員・労働者・学生・市民・批准そのものに反対する左翼・新左翼の運動家が参加した反政府・反米運動とそれに伴う大規模デモ運動であると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「60年安保闘争は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)・1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で行われた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員・労働者・学生・市民・批准そのものに反対する左翼・新左翼の運動家が参加した反政府・反米運動とそれに伴う大規模デモ運動。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)で何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)で何か思い出すことは、東久邇宮稔彦王・幣原喜重郎・吉田茂・GHQ・マッカーサー元帥









授業をしている講師「そうだよね。平成時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「平成時代の始まりと終わりは、1989年1月8日~2019年4月30日



授業をしている講師「そうだよね。平成時代の内閣総理大臣は、何代までだったかな

授業を受けている生徒「平成時代の内閣総理大臣は、第98代安倍晋三までだった



授業をしている講師「正解。今回は、平成時代の乱について話します。平成時代の乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「平成時代の乱は、2つあった。1つは、1985年頃、自動車に対米輸出が増加し、アメリカの自動車産業は大きな打撃を受け、対日非難が高まったジャパン=バッシング。もう1つは、1990年8月2日、アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、クウェート侵攻したイラクに対し、国連決議を背景に武力制裁を加えた湾岸戦争

授業をしている講師「そうだよね。日本は、湾岸戦争で何をしたかな

授業を受けている生徒「日本は、湾岸戦争でアメリカに国際貢献をせまられ、多国籍軍に多額の資金援助を行った

授業をしている講師「そうだよね。例えば、ジャパン=バッシングについて簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「ジャパン=バッシングは、1985年頃、自動車に対米輸出が増加し、アメリカの自動車産業は大きな打撃を受け、対日非難が高まったこと。なので、正解は、ジャパン=バッシングとは、1985年頃、自動車に対米輸出が増加し、アメリカの自動車産業は大きな打撃を受け、対日非難が高まったこと

授業をしている講師「正解。今回は、平成時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、戦国時代の条約を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<平成時代の乱について>
ジャパン=バッシング→1985年頃、自動車に対米輸出が増加し、アメリカの自動車産業は大きな打撃を受け、対日非難が高まった

湾岸戦争→1990年8月2日、アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、クウェート侵攻したイラクに対し、国連決議を背景に武力制裁を加えた
日本は、湾岸戦争でアメリカに国際貢献をせまられ、多国籍軍に多額の資金援助を行った

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:53講】昭和時代の乱を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「昭和時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱について話しました。1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱は、11個あった。1つ目は、1937年(昭和12年)7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日中両国軍が衝突した盧溝橋事件。2つ目は、1937年7月から1945年8月まで日本と中国の間で起こった日中戦争。3つ目は、1939年から1945年、イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国などの連合国陣営と日本・ドイツ・イタリアなどの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営との間で戦われた第二次世界大戦。4つ目は、1941年7月、日本軍がベトナム南部に進駐した南部仏印進駐。5つ目は、1941年、1941年以後の日中戦争を含む太平洋戦争。6つ目は、1942年(昭和17年)6月、中部太平洋のミッドウェー島沖で日米の海軍機動部隊同士が戦ったミッドウェー海戦。7つ目は、1944年(昭和19年)後半、サイパン島の基地から飛来する米軍機によって激化した本土空襲。8つ目は、1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍が、沖縄本島に上陸し、島民を巻き込む3か月近い戦いの末、沖縄本島を占領した沖縄戦。9つ目は、1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下。10個目は、1945年8月8日、ソ連が日本に宣戦布告し、満州・朝鮮に一挙に侵入した日ソ中立条約無視。11個目は、1945年8月9日、長崎市への原子爆弾投下

授業をしている講師「そうだよね。例えば、南部仏印進駐の結果、どうなったのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「南部仏印進駐は、1941年7月、日本軍がベトナム南部に進駐したこと。南部仏印進駐の結果、アメリカは在米日本資産を凍結し、対日石油輸出を禁止を決定した。なので、正解は、南部仏印進駐の結果、アメリカは在米日本資産を凍結し、対日石油輸出を禁止を決定した

授業をしている講師「そうだよね。例えば、盧溝橋事件は、1937年7月から1945年8月まで日本と中国の間で起こったことであると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「盧溝橋事件は、1937年(昭和12年)7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日中両国軍が衝突したこと。1937年7月から1945年8月まで日本と中国の間で起こったことは、日中戦争。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。選択肢を時系列に並べ替えなさい。A日本政府及び軍の代表が東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で、降伏文書に署名し、太平洋戦争は終了した B政府は、昭和天皇の「聖断」によって決定されたポツダム宣言受諾を連合軍側に通告した C天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された Dポツダム宣言発表と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A日本政府及び軍の代表が東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で、降伏文書に署名し、太平洋戦争は終了したのは、1945年9月2日。 B政府は、昭和天皇の「聖断」によって決定されたポツダム宣言受諾を連合軍側に通告したのは、1945年8月14日。 C天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表されたのは、1945年8月15日正午。Dポツダム宣言発表されたのは、1945年(昭和20年)7月26日。なので、正解は、D→B→C→A

授業をしている講師「そうだよね。例えば、第二次世界大戦において日本は、連合国陣営だったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第二次世界大戦の連合国陣営は、イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国。枢軸国陣営は、日本・ドイツ・イタリア。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)で何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)で何か思い出すことは、戦前の昭和時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「そうだよね。戦後の昭和時代の内閣総理大臣は、何代までだったかな

授業を受けている生徒「戦後の昭和時代の内閣総理大臣は、第74代竹下登までだった



授業をしている講師「そうだよね。なので、今回は、1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱について話します。1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱は、5つあった。1つ目は、1950年6月、中国革命の成功に触発された北朝鮮が、武力統一を目指し北緯38度線を越えて韓国に侵入した朝鮮戦争。2つ目は、1952年(昭和27年)5月1日、メーデー中央集会のデモ隊が使用不可とされた皇居前広場に入り、警察隊とデモ隊が衝突した血のメーデー事件。3つ目は、1954年(昭和30年)、原水爆の製造・実験・使用の禁止と廃棄を求める原水爆禁止運動。4つ目は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)・1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で行われた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員・労働者・学生・市民・批准そのものに反対する左翼・新左翼の運動家が参加した反政府・反米運動とそれに伴う大規模デモ運動の60年安保闘争。5つ目は、1976年(昭和51年)2月、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐり、世界的な大規模汚職事件のロッキード事件

授業をしている講師「そうだよね。朝鮮戦争の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「朝鮮戦争の結果、在日アメリカ軍が朝鮮に動員された後の軍事的空白を埋めるため、警察予備隊が新設された



授業をしている講師「そうだよね。血のメーデー事件の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「血のメーデー事件の結果、1952年7月、暴力主義的破壊活動規制を目指す破壊活動防止法を成立させた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、血のメーデー事件とは、1936年(昭和11年)2月26日早朝、北一輝の思想的影響を受けた皇道派の一部青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った。約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った結果、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らが殺害された。また国会を含む国政の中枢を4日間占拠したことであると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「血のメーデー事件は、1952年(昭和27年)5月1日、メーデー中央集会のデモ隊が使用不可とされた皇居前広場に入り、警察隊とデモ隊が衝突したこと。1936年(昭和11年)2月26日早朝、北一輝の思想的影響を受けた皇道派の一部青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った。約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った結果、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らが殺害された。また国会を含む国政の中枢を4日間占拠したのは、二・二六事件。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。例えば、ロッキード事件が問題化した時の内閣総理大臣を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「ロッキード事件が問題化した時の内閣総理大臣は、田中角栄かな」

授業をしている講師「残念ながら、ロッキード事件が問題化した時の内閣総理大臣は、田中角栄ではなく、三木武夫だよ。なので、ロッキード事件が問題化した時の内閣総理大臣は、三木武夫と押さえておいてね

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師「今回は、昭和時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、平成時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1945年8月17日(東久邇宮稔彦王)~1989年6月3日(竹下登)の乱について>
朝鮮戦争→1950年6月、中国革命の成功に触発された北朝鮮が、武力統一を目指し北緯38度線を越えて韓国に侵入した
在日アメリカ軍が朝鮮に動員された後の軍事的空白を埋めるため、警察予備隊が新設された

血のメーデー事件→1952年(昭和27年)5月1日、メーデー中央集会のデモ隊が使用不可とされた皇居前広場に入り、警察隊とデモ隊が衝突した
1952年7月、暴力主義的破壊活動規制を目指す破壊活動防止法を成立させた

原水爆禁止運動→1954年(昭和30年)、原水爆の製造・実験・使用の禁止と廃棄を求める運動

60年安保闘争→1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)・1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で行われた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員・労働者・学生・市民・批准そのものに反対する左翼・新左翼の運動家が参加した反政府・反米運動とそれに伴う大規模デモ運動

ロッキード事件→1976年(昭和51年)2月、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐり、世界的な大規模汚職事件

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:52講】昭和時代の乱を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「昭和時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱について話しました。1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱は、11個あった。1つ目は、1927年、田中義一内閣は、満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、日本人居留民の保護を名目に行った山東出兵。2つ目は、1928年(昭和3年)3月15日、日本共産党が公然と活動を開始した。なので、田中義一内閣は、戦況直後の3月15日に共産党員の一斉検挙を行った。また共産党員の一斉検挙を行った結果、日本労働組合評議会などの関係団体を解散させた三・一五事件。3つ目は、1928年(昭和3年)、第2次山東出兵の際、日本軍は、国民革命軍との間で武力衝突を起こし、一時、済南城を占領した済南事件。4つ目は、1928年(昭和3年)6月、関東軍は、中央にはからず独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破し、殺害した張作霖爆殺事件(満州某重大事件)。5つ目は、1929年(昭和4年)、日本共産党に対し、大規模な検挙を行った四・一六事件。6つ目は、1931年(昭和6年)9月18日、関東軍は、参謀石原莞爾を中心に奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件。7つ目は、1931年、南満州鉄道爆破事件をきっかけに日本と中国が激突した満州事変。8つ目は、1932年(昭和7年)2月から3月、井上日召率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相・団琢磨三井合名会社理事長を暗殺した血盟団事件。9つ目は、1932年5月15日、海軍青年将校の一団が首相官邸に押し入り、犬養毅首相を射殺した五・一五事件。10個目は、1936年(昭和11年)2月26日早朝、北一輝の思想的影響を受けた皇道派の一部青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った。約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った結果、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らが殺害された。また国会を含む国政の中枢を4日間占拠した二・二六事件。11個目は、1936年12月、共産軍討伐のため陝西省の西安に駐屯中であった張学良麾下の東北軍と楊虎城の十七路軍が、南京から西安へ督戦に来た蒋介石を監禁し、国共内戦の停止と挙国一致による抗日を要求した西安事件

授業をしている講師「そうだよね。例えば、統制派・皇道派について簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「統制派は、陸軍省や参謀本部の中堅幕僚将校を中心に、革新官僚や財閥と結んだ軍部の強力な統制のもとで総力戦体制樹立を目指していた派閥。皇道派は、隊付の青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒・天皇親政の実現を目指していた派閥だった。なので、正解は、統制派は、陸軍省や参謀本部の中堅幕僚将校を中心に、革新官僚や財閥と結んだ軍部の強力な統制のもとで総力戦体制樹立を目指していた派閥。皇道派は、隊付の青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒・天皇親政の実現を目指していた派閥

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢を古い順に並び変えなさい。A三・一五事件 B四・一六事件 C五・一五事件 D二・二六事件と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A三・一五事件は、1928年(昭和3年)3月15日。B四・一六事件は、1929年(昭和4年)。C五・一五事件は、1932年5月15日。D二・二六事件は、1936年(昭和11年)2月26日早朝。なので、正解は、A→ B→C→D

授業をしている講師「そうだよね。例えば、張作霖爆殺事件(満州某重大事件)の結果、どうなったのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「張作霖爆殺事件(満州某重大事件)の結果、1928年(昭和3年)、関東軍のもくろみとは逆に、張作霖の子で後継者張学良は、勢力下にあった満州を国民政府支払下の土地と認めた。なので、正解は、張作霖爆殺事件(満州某重大事件)の結果、1928年(昭和3年)、関東軍のもくろみとは逆に、張作霖の子で後継者張学良は、勢力下にあった満州を国民政府支払下の土地と認めた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、山東出兵とシベリア出兵の名目を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「山東出兵は、1927年、田中義一内閣は、満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、日本人居留民の保護を名目に行った。シベリア出兵は、1918年(大正8年)8月、寺内正毅内閣は、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定した。なので、正解は、山東出兵の名目は、満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、日本人居留民の保護。シベリア出兵の名目は、シベリアのチェコスロヴァキア軍救援





授業をしている講師「そうだよね。1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)で何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)で何か思い出すことは、戦前の昭和時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「そうだよね。戦前の昭和時代の内閣総理大臣は、何代までだったかな

授業を受けている生徒「戦前の昭和時代の内閣総理大臣は、第42代鈴木貫太郎までだった

授業をしている講師「そうだよね。なので、今回は、1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱について話します。1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱は、11個あった。1つ目は、1937年(昭和12年)7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日中両国軍が衝突した盧溝橋事件。2つ目は、1937年7月から1945年8月まで日本と中国の間で起こった日中戦争。3つ目は、1939年から1945年、イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国などの連合国陣営と日本・ドイツ・イタリアなどの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営との間で戦われた第二次世界大戦。4つ目は、1941年7月、日本軍がベトナム南部に進駐した南部仏印進駐。5つ目は、1941年、1941年以後の日中戦争を含む太平洋戦争。6つ目は、1942年(昭和17年)6月、中部太平洋のミッドウェー島沖で日米の海軍機動部隊同士が戦ったミッドウェー海戦。7つ目は、1944年(昭和19年)後半、サイパン島の基地から飛来する米軍機によって激化した本土空襲。8つ目は、1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍が、沖縄本島に上陸し、島民を巻き込む3か月近い戦いの末、沖縄本島を占領した沖縄戦。9つ目は、1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下。10個目は、1945年8月8日、ソ連が日本に宣戦布告し、満州・朝鮮に一挙に侵入した日ソ中立条約無視。11個目は、1945年8月9日、長崎市への原子爆弾投下

授業をしている講師「そうだよね。南部仏印進駐の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「南部仏印進駐の結果、アメリカは在米日本資産を凍結し、対日石油輸出を禁止を決定した

授業をしている講師「そうだよね。ッドウェー海戦の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「ミッドウェー海戦の結果、アメリカの対日反抗作戦が本格化した

授業をしている講師「そうだよね。長崎市への原子爆弾投下の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「長崎市への原子爆弾投下の結果、1945年8月14日、政府は、昭和天皇の「聖断」によって決定されたポツダム宣言受諾を連合軍側に通告した。1945年8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された。1945年9月2日、日本政府及び軍の代表が東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で、降伏文書に署名し、太平洋戦争は終了した

授業をしている講師「そうだよね。ポツダム宣言は、何年に発表されたのかな

授業を受けている生徒「ポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日に発表された

授業をしている講師「そうだよね。例えば、第二次世界大戦の連合国陣営と枢軸国陣営の関係図を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第二次世界大戦は、1939年から1945年、イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国などの連合国陣営と日本・ドイツ・イタリアなどの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営との間で戦われた。なので、正解は、連合国陣営は、イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国。枢軸国陣営は、日本・ドイツ・イタリア

授業をしている講師「正解。今回は、昭和時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1937年2月2日(林銑十郎)~1945年8月17日(鈴木貫太郎)の乱について>
盧溝橋事件→1937年(昭和12年)7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日中両国軍が衝突した

日中戦争→1937年7月から1945年8月まで日本と中国の間で起こった

第二次世界大戦→1939年から1945年、イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国などの連合国陣営と日本・ドイツ・イタリアなどの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営との間で戦われた

南部仏印進駐→1941年7月、日本軍がベトナム南部に進駐した
アメリカは在米日本資産を凍結し、対日石油輸出を禁止を決定した

太平洋戦争→1941年、1941年以後の日中戦争を含む戦争

ミッドウェー海戦→1942年(昭和17年)6月、中部太平洋のミッドウェー島沖で日米の海軍機動部隊同士が戦った
アメリカの対日反抗作戦が本格化した

本土空襲→1944年(昭和19年)後半、サイパン島の基地から飛来する米軍機によって激化した

沖縄戦→1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍が、沖縄本島に上陸し、島民を巻き込む3か月近い戦いの末、沖縄本島を占領した

広島市への原子爆弾投下→1945年8月6日

日ソ中立条約無視→1945年8月8日、ソ連が日本に宣戦布告し、満州・朝鮮に一挙に侵入した

長崎市への原子爆弾投下→1945年8月9日
1945年8月14日、政府は、昭和天皇の「聖断」によって決定されたポツダム宣言受諾を連合軍側に通告した
1945年8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された
1945年9月2日、日本政府及び軍の代表が東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で、降伏文書に署名し、太平洋戦争は終了した

<第二次世界大戦の連合国陣営と枢軸国陣営の関係図について>
連合国陣営→イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国

枢軸国陣営→日本・ドイツ・イタリア

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:51講】昭和時代の乱を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「昭和時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、大正時代の乱を押さえるについて話しました。大正時代までの乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の乱は、9つあった。1つ目は、1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった第一次護憲運動。2つ目は、1913年(大正2年)2月、桂太郎内閣が在職50日余りで退陣した大正政変。3つ目は、1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器に輸入をめぐり海軍高官が汚職したシーメンス事件。4つ目は、1914年、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦した第一次世界大戦。5つ目は、1918年(大正8年)8月、寺内正毅内閣は、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定したシベリア出兵。6つ目は、1918年(大正7年)、日本で発生した米の価格急騰に伴って起こった米騒動。7つ目は、1919年3月1日、民族自決の国際世論の高まりを背景に、東京在住の朝鮮人学生・日本支配下の朝鮮の学生・宗教団体を中心に朝鮮独立を求める運動が盛り上がった。また京城(現ソウル)のパコダ公園(タプッコル公園)で独立宣言朗読会が行われたことをきっかけで起こった朝鮮全土で独立を求めた三・一独立運動。8つ目は、1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動の五・四運動。9つ目は、1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、憲政擁護運動を起こした第二次護憲運動

授業をしている講師「そうだよね。例えば、シーメンス事件とは、1881年(明治14年)、北海道開拓所属の官有物を払い下げるにあたり、開拓使長官黒田清隆が、同郷の実業家五代友厚らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとしたことであると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「シーメンス事件は、1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器に輸入をめぐり海軍高官が汚職したこと。1881年(明治14年)、北海道開拓所属の官有物を払い下げるにあたり、開拓使長官黒田清隆が、同郷の実業家五代友厚らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとしたことは、開拓使官有物払下げ事件。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。例えば、1918年(大正8年)8月、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定したシベリア出兵をしたのは、何内閣の時か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1918年(大正8年)8月、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定したシベリア出兵をしたのは、寺内正毅内閣の時だった。なので、正解は、寺内正毅内閣

授業をしている講師「そうだよね。例えば、五・四運動とは、1905年(明治38年)、国民が賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させ、ポーツマス条約調印の日に開かれた講和反対国民大会が暴動化したことであると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「五・四運動は、1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動のこと。1905年(明治38年)、国民が賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させ、ポーツマス条約調印の日に開かれた講和反対国民大会が暴動化したのは、日比谷焼打ち事件。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。例えば、五・四運動と三・一独立運動が起こった順に並び変えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「五・四運動は、1919年5月4日。三・一独立運動は、1919年3月1日。なので、正解は、三・一独立運動→五・四運動

授業をしている講師「そうだよね。例えば、第二次護憲運動を起こした3党を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第二次護憲運動は、1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、憲政擁護運動を起こしたこと。なので、正解は、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部



授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師「そうだよね。大正時代で何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「大正時代で何か思い出すことは、大正時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「そうだよね。大正時代の内閣総理大臣は、何代から始まり何代で終わったかな

授業を受けている生徒「大正時代の内閣総理大臣は、15代から始まり24代で終わった

授業をしている講師「そうだよね。15代内閣総理大臣と24代内閣総理大臣は、誰だったかな

授業を受けている生徒「15代内閣総理大臣は、桂太郎。24代内閣総理大臣は、加藤高明

授業をしている講師「そうだよね。1901年(明治34年)から1913年(大正2年)の間、桂太郎と西園寺公望が交互に内閣総理大臣になっていたことを何と言ったかな

授業を受けている生徒「1901年(明治34年)から1913年(大正2年)の間、桂太郎と西園寺公望が交互に内閣総理大臣になっていたことを桂園時代と言った

授業をしている講師「正解。今回は、昭和時代の乱を押さえるについて話します。早速だけど、昭和時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「昭和時代の始まりと終わりは、1926年12月25日~1989年1月7日

授業をしている講師「そうだよね。今回だけで昭和時代の乱について勉強をすると、日本史を勉強をすることが嫌になる。なので、今回は、1926年1月30日~1937年2月2日の乱について話します」

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師第25代内閣総理大臣と第32代内閣総理大臣は、誰だったかな

授業を受けている生徒「第25代内閣総理大臣は、若槻禮次郎。第32代内閣総理大臣は、廣田弘毅

授業をしている講師「なので、今回は、1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱について話します。1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱は、8つあった。1つ目は、1928年(昭和3年)3月15日、日本共産党が公然と活動を開始した。なので、田中義一内閣は、戦況直後の3月15日に共産党員の一斉検挙を行った。また共産党員の一斉検挙を行った結果、日本労働組合評議会などの関係団体を解散させた三・一五事件。2つ目は、1928年(昭和3年)、第2次山東出兵の際、日本軍は、国民革命軍との間で武力衝突を起こし、一時、済南城を占領した済南事件。3つ目は、1928年(昭和3年)6月、関東軍は、中央にはからず独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破し、殺害した張作霖爆殺事件(満州某重大事件)。4つ目は、1929年(昭和4年)、日本共産党に対し、大規模な検挙を行った四・一六事件。5つ目は、1931年、南満州鉄道爆破事件をきっかけに日本と中国が激突した満州事変。6つ目は、1932年(昭和7年)2月から3月、井上日召率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相・団琢磨三井合名会社理事長を暗殺した血盟団事件。7つ目は、1932年5月15日、海軍青年将校の一団が首相官邸に押し入り、犬養毅首相を射殺した五・一五事件。8つ目は、1936年(昭和11年)2月26日早朝、北一輝の思想的影響を受けた皇道派の一部青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った。約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った結果、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らが殺害された。また国会を含む国政の中枢を4日間占拠した二・二六事件

授業をしている講師「残念ながら、1926年1月30日~1937年2月2日の乱は、三・一五事件・済南事件・張作霖爆殺事件(満州某重大事件)・四・一六事件・満州事変・血盟団事件・五・一五事件・二・二六事件だけではない。三・一五事件・済南事件・張作霖爆殺事件(満州某重大事件)・四・一六事件・満州事変・血盟団事件・五・一五事件・二・二六事件以外に3つある。1つ目は、1927年、田中義一内閣は、満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、日本人居留民の保護を名目に行った山東出兵。2つ目は、1931年(昭和6年)9月18日、関東軍は、参謀石原莞爾を中心に奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件。3つ目は、1936年12月、共産軍討伐のため陝西省の西安に駐屯中であった張学良麾下の東北軍と楊虎城の十七路軍が、南京から西安へ督戦に来た蒋介石を監禁し、国共内戦の停止と挙国一致による抗日を要求した西安事件

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師張作霖爆殺事件(満州某重大事件)の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「張作霖爆殺事件(満州某重大事件)の結果、1928年(昭和3年)、関東軍のもくろみとは逆に、張作霖の子で後継者張学良は、勢力下にあった満州を国民政府支払下の土地と認めた

授業をしている講師「そうだよね。二・二六事件の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「二・二六事件の結果、統制派が皇道派を排除し、陸軍内での主導権を確立した。陸軍内での主導権を確立した結果、陸軍の政治発言力は一層強くなった

授業をしている講師「そうだよね。統制派・皇道派とは、何のことかな

授業を受けている生徒「統制派は、陸軍省や参謀本部の中堅幕僚将校を中心に、革新官僚や財閥と結んだ軍部の強力な統制のもとで総力戦体制樹立を目指していた派閥。皇道派は、隊付の青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒・天皇親政の実現を目指していた派閥

授業をしている講師「そうだよね。例えば、血盟団事件で井上日召率いる右翼の血盟団員によって暗殺された人物は誰か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「血盟団事件は、井上日召率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相・団琢磨三井合名会社理事長を暗殺したこと。なので、正解は、井上準之助・団琢磨

授業をしている講師「そうだよね。例えば、張作霖爆殺事件(満州某重大事件)とは、1862年(文久2年)、生麦村で発生した日本人による外国人殺傷事件であると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「張作霖爆殺事件(満州某重大事件)は、1928年(昭和3年)6月、関東軍は、中央にはからず独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破し、殺害した事件。1862年(文久2年)、生麦村で発生した日本人による外国人殺傷事件は、生麦事件。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。例えば、西安事件とは、1882年(明治15年)、朝鮮の漢城で日本への接近を進める国王高宗の外戚閔氏一族に反対する大院君を支持する軍隊が反乱を起こした。軍隊が反乱を起こしたことに呼応し、民衆が、日本公使館を包囲したことであると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「西安事件は、1936年12月、共産軍討伐のため陝西省の西安に駐屯中であった張学良麾下の東北軍と楊虎城の十七路軍が、南京から西安へ督戦に来た蒋介石を監禁し、国共内戦の停止と挙国一致による抗日を要求したこと。1882年(明治15年)、朝鮮の漢城で日本への接近を進める国王高宗の外戚閔氏一族に反対する大院君を支持する軍隊が反乱を起こした。軍隊が反乱を起こしたことに呼応し、民衆が、日本公使館を包囲したのは、壬午軍乱(壬午事変)。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、昭和時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1926年1月30日(若槻禮次郎)~1937年2月2日(廣田弘毅)の乱について>
山東出兵→1927年、田中義一内閣は、満州軍閥の張作霖を支援し、国民革命軍に対抗するため、日本人居留民の保護を名目に行った

三・一五事件→1928年(昭和3年)3月15日、日本共産党が公然と活動を開始した。なので、田中義一内閣は、戦況直後の3月15日に共産党員の一斉検挙を行った。また共産党員の一斉検挙を行った結果、日本労働組合評議会などの関係団体を解散させた

済南事件→1928年(昭和3年)、第2次山東出兵の際、日本軍は、国民革命軍との間で武力衝突を起こし、一時、済南城を占領した

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)→1928年(昭和3年)6月、関東軍は、中央にはからず独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破し、殺害した
1928年(昭和3年)、関東軍のもくろみとは逆に、張作霖の子で後継者張学良は、勢力下にあった満州を国民政府支払下の土地と認めた

四・一六事件→1929年(昭和4年)、日本共産党に対し、大規模な検挙を行った

柳条湖事件→1931年(昭和6年)9月18日、関東軍は、参謀石原莞爾を中心に奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した

満州事変→1931年、南満州鉄道爆破事件をきっかけに日本と中国が激突した

血盟団事件→1932年(昭和7年)2月から3月、井上日召率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相・団琢磨三井合名会社理事長を暗殺した

五・一五事件→1932年5月15日、海軍青年将校の一団が首相官邸に押し入り、犬養毅首相を射殺した

二・二六事件→1936年(昭和11年)2月26日早朝、北一輝の思想的影響を受けた皇道派の一部青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った。約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲った結果、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らが殺害された。また国会を含む国政の中枢を4日間占拠した
統制派が皇道派を排除し、陸軍内での主導権を確立した。陸軍内での主導権を確立した結果、陸軍の政治発言力は一層強くなった

西安事件→1936年12月、共産軍討伐のため陝西省の西安に駐屯中であった張学良麾下の東北軍と楊虎城の十七路軍が、南京から西安へ督戦に来た蒋介石を監禁し、国共内戦の停止と挙国一致による抗日を要求した

<統制派・皇道派について>
統制派→陸軍省や参謀本部の中堅幕僚将校を中心に、革新官僚や財閥と結んだ軍部の強力な統制のもとで総力戦体制樹立を目指していた派閥

皇道派→隊付の青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒・天皇親政の実現を目指していた派閥

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:50講】大正時代の乱を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)までの乱について話しました。1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)までの乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)までの乱は、11個あった。1つ目は、1882年(明治15年)、朝鮮の漢城で日本への接近を進める国王高宗の外戚閔氏一族に反対する大院君を支持する軍隊が反乱を起こした。軍隊が反乱を起こしたことに呼応し、民衆が、日本公使館を包囲した壬午軍乱(壬午事変)。2つ目は、1884年(明治17年)、日本と組んで朝鮮の近代化をはかろうとした金玉均らの日改革派(独立党)は、日本公使館の援助を得て、クーデターを起こした。しかし、清国軍の来援で失敗した甲申事変。3つ目は、1887年(明治20年)、自由民権論者が、 外交の回復・地租の軽減・言論の自由の三つを要求して元老院に建白書を提出した。しかし、政府は保安条例を制定して民権派を東京から追放した三大事件建白運動。4つ目は、1891年(明治24年)、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)一行が、人力車で大津の京町筋を通行した際、路上警備をしていた津田三蔵巡査が突然、剣を抜き、皇太子の頭部を斬りつけた大津事件。5つ目は、1894年(明治27年)、朝鮮で東学の信徒の農民を中心に減税と排日を要求をした甲午農民戦争(東学の乱)。6つ目は、1894年(明治27年)、ロシアの支配が、東アジアにまで拡大されていた。なので、危機感を抱いた日本は、ロシアの勢力支配が自国に及ばぬよう、まだどの国からも支配されていなかった朝鮮半島を支配することを考え、清国に宣戦した日清戦争。7つ目は、1900年、清国では、「扶清滅洋」を唱える排外主義団体義和団が、勢力を増し、各地で外国人を襲い、北京の列国公使館を包囲した。清国政府も義和団に同調し、列国に宣戦を布告した義和団事件(北清事変)。8つ目は、1904年(明治37年)2月、日本とロシアは互いに宣戦を布告した日露戦争。9つ目は、1905年(明治38年)、国民が賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させ、ポーツマス条約調印の日に開かれた講和反対国民大会が暴動化した日比谷焼打ち事件。10個目は、1910年(明治43年)、明治天皇暗殺を計画したとの容疑で多数の社会主義者・無政府主義者が、逮捕・処刑された大逆事件。11個目は、1910年(明治43年)、日本政府は、韓国併合条約を強要し、韓国を植民地化した韓国併合

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大津事件で襲われたのは、誰か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大津事件は、1891年(明治24年)、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)一行が、人力車で大津の京町筋を通行した際、路上警備をしていた津田三蔵巡査が突然、剣を抜き、皇太子の頭部を斬りつけた。なので、正解は、ニコライ

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢を古い順番で並べ替えなさい。A日清戦争 B日露戦争と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A日清戦争は、1894年(明治27年)。B日露戦争は、1904年(明治37年)2月。なので、正解は、A→B

授業をしている講師「そうだよね。例えば、日清戦争が行ったきっかけは、何か簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「日清戦争は、ロシアの支配が、東アジアにまで拡大されていた。なので、危機感を抱いた日本は、ロシアの勢力支配が自国に及ばぬよう、まだどの国からも支配されていなかった朝鮮半島を支配することを考え、清国に宣戦した。なので、正解は、日清戦争が行ったきっかけは、ロシアの支配が、東アジアにまで拡大されていた。なので、危機感を抱いた日本は、ロシアの勢力支配が自国に及ばぬよう、まだどの国からも支配されていなかった朝鮮半島を支配することを考えたこと

授業をしている講師「そうだよね。例えば、日比谷焼打ち事件は、どうして起こったのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「日比谷焼打ち事件は、国民が賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させ、ポーツマス条約調印の日に開かれた講和反対国民大会が暴動化した事件。なので、正解は、日比谷焼打ち事件は、賠償金を全く取れないポーツマス条約に不満を爆発させたことで起こった



授業をしている講師1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)で何か思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年(伊藤博文~西園寺公望)で思い出すことは、内閣制度が始まったこと

授業をしている講師「そうだよね。1885年~1912年の内閣総理大臣は、何代までだったかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年の内閣総理大臣は、第14代までだった」



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の乱を押さえるについて話します。早速だけど、大正時代の乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の乱は、9つあった。1つ目は、1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった第一次護憲運動。2つ目は、1913年(大正2年)2月、桂太郎内閣が在職50日余りで退陣した大正政変。3つ目は、1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器に輸入をめぐり海軍高官が汚職したシーメンス事件。4つ目は、1914年、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦した第一次世界大戦。5つ目は、1918年(大正8年)8月、寺内正毅内閣は、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定したシベリア出兵。6つ目は、1918年(大正7年)、日本で発生した米の価格急騰に伴って起こった米騒動。7つ目は、1919年3月1日、民族自決の国際世論の高まりを背景に、東京在住の朝鮮人学生・日本支配下の朝鮮の学生・宗教団体を中心に朝鮮独立を求める運動が盛り上がった。また京城(現ソウル)のパコダ公園(タプッコル公園)で独立宣言朗読会が行われたことをきっかけで起こった朝鮮全土で独立を求めた三・一独立運動。8つ目は、1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動の五・四運動。9つ目は、1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、憲政擁護運動を起こした第二次護憲運動

授業をしている講師「そうだよね。第一次世界大戦の結果は、どうだったかな

授業を受けている生徒「第一次世界大戦の結果は、1918年11月、ドイツが負けを認めて降伏し、休戦した。また1919年6月、パリで調和会議が開かれ、日本も5大連合国の一員として全権西園寺公望・牧野伸顕らを送り、ヴェルサイユ条約が調印された

授業をしている講師「そうだよね。例えば、第一次護憲運動は、1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党が、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、起こした憲政擁護運動であると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第一次護憲運動は、1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった運動。1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党が、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、起こした憲政擁護運動は、第二次護憲運動。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大正政変で退陣した内閣は、何内閣か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大正政変で退陣した内閣は、桂太郎内閣。なので、正解は、桂太郎内閣

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の乱について>
第一次護憲運動→1912年(大正元年)12月、立憲政友会の尾崎行雄・立憲国民党の犬養毅を中心とした野党勢力・ジャーナリスト・商工業者・都市民衆が「閥族打破・憲政擁護」を揚げた運動が全国に広がった

大正政変→1913年(大正2年)2月、桂太郎内閣が在職50日余りで退陣した

シーメンス事件→1914年(大正3年)、外国製の軍艦や兵器に輸入をめぐり海軍高官が汚職した

第一次世界大戦→1914年、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦した
1918年11月、ドイツが負けを認めて降伏し、休戦した
1919年6月、パリで調和会議が開かれ、日本も5大連合国の一員として全権西園寺公望・牧野伸顕らを送り、ヴェルサイユ条約が調印された

シベリア出兵→1918年(大正8年)8月、寺内正毅内閣は、アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱したことを受け、シベリア・北満州への派兵を決定した

米騒動→1918年(大正7年)、日本で発生した米の価格急騰に伴って起こった

三・一独立運動→1919年3月1日、民族自決の国際世論の高まりを背景に、東京在住の朝鮮人学生・日本支配下の朝鮮の学生・宗教団体を中心に朝鮮独立を求める運動が盛り上がった。また京城(現ソウル)のパコダ公園(タプッコル公園)で独立宣言朗読会が行われたことをきっかけで起こった朝鮮全土で独立を求めた

五・四運動→1919年5月4日、1915年の二十一か条の要求の内容に不満を抱き発生した中華民国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動・大衆運動

第二次護憲運動→1924年(大正13年)、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、清浦奎吾が陸相と海相を除く全閣僚を貴族院から選出したことで、超然内閣の出現であるとして、憲政擁護運動を起こした

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