こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1871年~1885年まで(明治時代の太政大臣の時代)の制度について話しました。1871年~1885年まで(明治時代の太政大臣の時代)の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「1871年~1885年までの制度は、20個あった。1つ目は、1872年、華族・士族・平民という新たな族籍に基づく統一的な戸籍編成を行った壬申戸籍。2つ目は、1872年、明治維新政府が出した日本の近代教育制度に関する最初の基本法令の学制。3つ目は、1872年、渋沢栄一を中心とし、発行する銀行券の正貨兌換を義務付けた国立銀行条例。4つ目は、1872年、古代の兵制を援用し、四民平等の原則に基づくことを強調した徴兵告諭。5つ目は、1873年1月、国民皆兵を原則とした徴兵令。6つ目は、1873年、課税の基準を不安定な収穫高から一定した地価に変更する・旧来の石高制に基づく物納から金納に改める・地券所有者を地租納税者とすることが定められた地租改正条例。7つ目は、1873年、政府は、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた秩禄奉還の法。8つ目は、1874年、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的とし、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした屯田兵制度。9つ目は、1875年6月、政府は、民権運動家たちが、新聞や雑誌で活発に政府を攻撃したので、言論・出版を取り締まるために出した讒謗律・新聞紙条例。10個目は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃した秩禄処分。11個目は、1876年、大礼服着用の場合と軍人・警察・官吏などが制服を着用している場合を除き、帯刀が禁止された廃刀令。12個目は、1878年、郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則の地方三新法。13個目は、1879年、日本政府は、琉球藩及び琉球王国の廃止と沖縄県の設置を強行した琉球処分。14個目は、1879年、全国画一の学区制を廃止し、町村を小学校設置単位とした。また小学校の管理も地方に移管し、就学義務を大幅に緩和した教育令。15個目は、1880年4月、政社の活動を制限した集会条例。16個目は、1881年、政府は、大隈重信を世論の動きと関係があると判断し、罷免した。また欽定憲法制定の基本方針を決定した国会開設の勅諭。17個目は、1884年、華族の範囲を広げ、旧上層公家・大名以外からも国家に貢献した者が家族になれるとした。また将来の上院(貴族院)の土台を作った華族令。18個目は、1885年、銀兌換の銀行券を発行した銀本位制度。19個目は、1885年、各省の長官は国務大臣として自省の任務に関して天皇に直接責任を負うだけはなく、国政全体に関しても総理大臣のもとに閣議の一員として直接参画することになった内閣制度。20個目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例

授業をしている講師「そうだよね。例えば、秩禄奉還の法と秩禄処分の違いが分かるように簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「秩禄奉還の法は、1873年、政府が、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた。秩禄処分は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃した。なので、正解は、秩禄奉還の法は、1873年、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた。一方、秩禄処分は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃したかな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、明治時代、士族の主な特権が奪われた制度を3つ答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「明治時代、士族の主な特権が奪われた原因は、秩禄奉還の法・秩禄処分・廃刀令。なので、正解は、秩禄奉還の法・秩禄処分・廃刀令



授業をしている講師「正解。今回は、1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度について話します。1885年~1912年までの制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年までの制度は、15個ある。1つ目は、1886年、森有礼文部大臣のもとで、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備した学校令。2つ目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例。3つ目は、1888年、政府が国会開設に先立ち地方統治構造を固めるために制定された市制・町村制。4つ目は、1889年2月11日、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。また天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた大日本帝国憲法(明治憲法)。5つ目は、1889年2月11日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた皇室典範。6つ目は、1890年、地方自治制度の一環として制定された府県制・郡制。7つ目は、1890年、忠君愛国が学校教育の基本であることを強調した教育に関する勅語(教育勅語)。8つ目は、1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった貨幣法。9つ目は、1899年、第2次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために文官任用令改正。10個目は、1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった治安警察法。11個目は、1900年、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを明記した軍部大臣現役武官制。12個目は、1903年、小学校の教科書を文部省の著作に限ることを定めた固定教科書。13個目は、1906年、第1次西園寺公望内閣が、軍事的な配慮もあり、全国鉄道網の統一管理を目指した鉄道国有法。14個目は、1908年、政府が、勤倹節約・皇室の尊重を国民に求めた戊申詔書。15個目は、1911年、政府が、労働条件を改善し労資対立を緩和しようとする社会政策の立場で制定した工場法かな

授業をしている講師「そうだよね。鉄道国有法の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「鉄道国有法の結果、主要幹線の民営鉄道17社を買収し、国有化した

授業をしている講師「そうだよね。工場法の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「工場法の結果、実施は、1916年にずれ込んだ

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢は、明治時代の教育についてのものである。選択肢を古い順に並び変えなさい。A学制 B教育令 C学校令 D教育に関する勅語(教育勅語) E固定教科書。またC学校令と関係がある文部大臣を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A学制は、1872年。B教育令は、1879年。C学校令は、1886年。D教育に関する勅語(教育勅語) は、1890年。E固定教科書は、1903年。なので、A→ B→C→D→E。C学校令と関係がある文部大臣は、森有礼文部大臣。なので、正解は、A→ B→C→D→E・森有礼かな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1885年、1⃣制度を採用し、銀兌換の銀行券を発行した。1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった2⃣制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった3⃣が出された。1⃣から3⃣を埋めなさい。また下線部の日清戦争の賠償金は、日本全権の誰と清国全権の誰と何条約で決められたのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1885年、銀本位制度を採用し、銀兌換の銀行券を発行した。なので、1⃣は、銀本位。1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった貨幣法が出された。なので、2⃣は、金本位。3⃣は、貨幣法。日清戦争の賠償金は、1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章との間で下関条約で決められた。なので、正解は、1⃣は、銀本位・2⃣は、金本位・3⃣は、貨幣法・日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章・下関条約かな



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度について>
学校令→1886年、森有礼文部大臣のもとで、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備した

保安条例→1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した
1889年の憲法発布によって政党再建に向かっていった

市制・町村制→1888年、政府が国会開設に先立ち地方統治構造を固めるため制定された

大日本帝国憲法(明治憲法)→1889年2月11日、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。また天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた

皇室典範→1889年2月11日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた

府県制・郡制→1890年、地方自治制度の一環として制定された

教育に関する勅語(教育勅語)→1890年、忠君愛国が学校教育の基本であることを強調した

貨幣法→1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった

文官任用令改正→1899年、第2次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために改正

治安警察法→1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった

軍部大臣現役武官制→1900年、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを明記した

固定教科書→1903年、小学校の教科書を文部省の著作に限ることを定めた

鉄道国有法→1906年、第1次西園寺公望内閣が、軍事的な配慮もあり、全国鉄道網の統一管理を目指した
主要幹線の民営鉄道17社を買収し、国有化した

戊申詔書→1908年、政府が、勤倹節約・皇室の尊重を国民に求めた

工場法→1911年、政府が、労働条件を改善し労資対立を緩和しようとする社会政策の立場で制定した
実施は、1916年にずれ込んだ

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