こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、安土桃山時代の制度を押さえるについて話しました。安土桃山時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「安土桃山時代の制度は、4つあった。1つ目は、1587年、豊臣秀吉が、宣教師の国外追放を命じたバテレン(宣教師)追放令。2つ目は、1588年、豊臣秀吉が、一揆を防止し、農民を農業に専念させるために出した刀狩令。3つ目は、1588年、豊臣秀吉が、倭寇などの海賊行為を禁止した海賊取締令。4つ目は、1590年、豊臣秀吉が、武家奉公(兵)が町人・百姓になること、百姓が商人・職人になることを禁じた人掃令(身分統制令)

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1588年、織田信長が、一揆を防止し、農民を農業に専念させるために刀狩令を出したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1588年、刀狩令を出したのは、豊臣秀吉。なので、正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の制度を押さえるについて話します。江戸時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「江戸時代の制度は、23個ある。1つ目は、1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令。2つ目は、1615年、大名の居城を1つに限った一国一城令。3つ目は、1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した禁中並公家諸法度。4つ目は、1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した武家諸法度。5つ目は、1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度の寛永令。6つ目は、1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された田畑永代売買の禁止令。7目は、1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された寺院法度。8つ目は、1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した諸宗寺院法度。9つ目は、1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された諸社禰宜神主法度。10個目は、1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された分地制限令。11個目は、1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた服忌令。12個目は、1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた生類憐みの令。12個目は、1715年、貿易額を制限した海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)。13個目は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令。14個目は、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書。15個目は、1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された棄損令。16個目は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した旧里帰農令。17個目は、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁。18個目は、 1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令。19個目は、1825年、外国船を撃退するように命じた異国船打払令(無二念打払令)。20個目は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する人返しの法。21個目は、1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした上知令。22個目は、1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天保の薪水給与令。23個目は、1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた五品江戸廻送令かな

授業をしている講師「そうだよね。どうして寺院法度を出したのかな

授業を受けている生徒「寺院法度を出した理由は、宗派ごとに本山・本寺の地位を保障し末寺を組織させる本末制度のため

授業をしている講師「そうだよね。棄損令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「棄損令の結果、米の売却などを扱う札差に貸金を放棄させた

授業をしている講師「そうだよね。上知令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「上知令の結果、譜代大名・旗本に反対され、上知令は実施されなかった

授業をしている講師「そうだよね。五品江戸廻送令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「五品江戸廻送令の結果、輸出向け商品を取り扱った在郷商人・商取引の自由を主張する列国の反対で効果が上がらなかった

授業をしている講師「そうだよね。例えば、教師Aと学生Bの会話です。A「1⃣と2⃣の違いは、何かな」B「1⃣は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励しました。2⃣は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制しました」1⃣・2⃣を埋めなさい問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励のは、旧里帰農令。1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制したのは、人返しの法。なので、正解は、1⃣は、旧里帰農令・2⃣は、人返しの法

授業をしている講師「そうだよね。江戸時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の始まりと終わりは、1603年~1868年



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の制度について>
禁教令→1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた

一国一城令→1615年、大名の居城を1つに限った

禁中並公家諸法度→1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した

武家諸法度→1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した

寛永令→1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度

田畑永代売買の禁止令→1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された

寺院法度→1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された

諸宗寺院法度→1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した

諸社禰宜神主法度→1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された

分地制限令→1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された

服忌令→1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた

生類憐みの令→1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた

海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)→1715年、貿易額を制限した

相対済し令→1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する

公事方御定書→1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた

棄損令→1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された
米の売却などを扱う札差に貸金を放棄させた

旧里帰農令→1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した

寛政異学の禁→1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた

出版統制令→1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した

異国船打払令(無二念打払令)→1825年、外国船を撃退するように命じた

人返しの法→1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する

上知令→1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした
譜代大名・旗本に反対され、上知令は実施されなかった

天保の薪水給与令→1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天

五品江戸廻送令→1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた
輸出向け商品を取り扱った在郷商人・商取引の自由を主張する列国の反対で効果が上がらなかった

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