こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1868年~1871(明治元年~明治4年)までの乱について話しました。1868年~1871(明治元年~明治4年)までの乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1868年~1871(明治元年~明治4年)までの乱は、4つあった。1つ目は、1868年(慶応4年・明治元年)1月、徳川慶喜を擁する旧幕府側が、大坂城から京都に進撃した。しかし、旧幕府側は、新政府に敗れ、徳川慶喜が江戸に逃れた鳥羽・伏見の戦い。2つ目は、1868年4月、徳川慶喜の命を受けた勝海舟と東征軍参謀西郷隆盛の交渉によって江戸城で行われた江戸城無血開城。3つ目は、1868年9月、東征軍は、奥羽越列藩同盟を結成した東北諸藩の抵抗を打ち破り、会津若松城を攻め落とした会津戦争。4つ目は、1869年(明治2年)5月、新政府は、箱館の五稜郭に立てこもっていた旧幕府軍の榎本武揚らの軍も降伏させ、ほぼ統一した箱館戦争

授業をしている講師「そうだよね。例えば、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府側を擁したのは、誰か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「鳥羽・伏見の戦いは、1868年(慶応4年・明治元年)1月、徳川慶喜を擁する旧幕府側が、大坂城から京都に進撃した。しかし、旧幕府側は、新政府に敗れ、徳川慶喜が江戸に逃れた戦い。なので、正解は、徳川慶喜

授業をしている講師「そうだよね。例えば、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府側を擁した徳川慶喜は、江戸時代の第14第将軍であると問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「徳川慶喜は、江戸時代最後の第15第将軍。江戸時代の第14第将軍は、徳川家茂。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢を振い順番で並べ替えなさい。A会津戦争 B鳥羽・伏見の戦い C箱館戦争 D江戸城無血開城と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A会津戦争は、1868年9月。B鳥羽・伏見の戦いは、1868年(慶応4年・明治元年)1月。C箱館戦争は、1869年(明治2年)5月。D江戸城無血開城は、1868年4月。なので、正解は、B→D→A→C

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1868年(慶応4年・明治元年)1月の鳥羽・伏見の戦いから1869年(明治2年)5月の箱館戦争までのことを何と言うのか答えなさいが出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1868年(慶応4年・明治元年)1月の鳥羽・伏見の戦いから1869年(明治2年)5月の箱館戦争までのことを戊辰戦争と言う。なので、正解は、戊辰戦争



授業をしている講師「そうだよね。明治時代始まりと終わりは、いつからいつまでだったかな

授業を受けている生徒「明治時代始まりと終わりは、1868〜1912年



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の乱を押さえるについて話します。早速だけど、明治時代、内閣総理大臣の前は、何が置かれていたかな

授業を受けている生徒「明治時代、内閣総理大臣の前は、太政大臣

授業をしている講師「そうだよね。1871年~1885年まで在任したのは、誰かな

授業を受けている生徒「1871年~1885年まで在任したのは、三条実美

授業をしている講師「そうだよね。なので、今回は、1871年~1885年(三条実美)までの乱を押さえる」

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師1871年~1885年(三条実美)までの乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1871年~1885年(三条実美)までの乱は、6つあった。1つ目は、1873年(明治6年)、徴兵制度や学制に基づく小学校の設置による負担の増加をきらい、多くの農民が起こした血税一揆。2つ目は、1874年(明治7年)、政府は、清国が現地住民の殺傷行為の責任を負わなかったため、台湾に出兵した台湾出兵。3つ目は、1875年(明治8年)、日本の軍艦雲揚が、首都漢城近くの江華島で朝鮮側を挑発し、戦闘に発展した江華島事件。4つ目は、1876年(明治9年)、低米価のもとで過去の高米価も含め、平均した地価を基準に地租を定めることに大規模な農民が反発した地租改正反対一揆。5つ目は、1877年、士族は、明治政府への反乱を起こした。しかし、反乱は、政府によって約半年で鎮圧された西南戦争。6つ目は、1881年(明治14年)、北海道開拓所属の官有物を払い下げるにあたり、開拓使長官黒田清隆が、同郷の実業家五代友厚らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとした開拓使官有物払下げ事件

授業をしている講師「残念ながら、1871年~1885年までの乱は、6つだけではない。血税一揆・台湾出兵・江華島事件・地租改正反対一揆・西南戦争・開拓使官有物払下げ事件以外に6つある。1つ目は、1873年(明治6年)、征韓論を主張する西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らと欧米視察から帰国しあくまでも内治優先を主張する大久保利通・木戸孝允らとが激しく対立した。征韓派は敗れ、一斉辞任した明治六年の政変。2つ目は、1874年(明治7年)、征韓派前参議の1人江藤新平は、郷里の佐賀の不平士族に迎えられ、征韓党の首領となった。江藤新平が、政府に対し、反乱を起こした佐賀の乱。3つ目は、1881年(明治14年)、薩長藩閥政府の専制的な体制を固め、天皇制立憲国家への道を確定した明治十四年の政変。4つ目は、1882年(明治15年)、福島県の自由党員・農民などが、弾圧された福島事件。5つ目は、1884年(明治17年)、秩父地方の農民が、困民党を組織し、自由党員とともに高利貸しへの返済延長や村民税の減税などを要求して蜂起した秩父事件。6つ目は、1885年(明治18年)、大井憲太郎ら自由党左派が、朝鮮の内政改革を企て大阪で逮捕された大阪事件

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師台湾出兵の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「台湾出兵の結果、清国は、イギリスの調停もあって、日本の出兵を正当な行動と認め、事実上の賠償金を支払った

授業をしている講師「そうだよね。明治十四年の政変の結果、誰を中心に薩長藩閥政府の専制的な体制を固めたかな

授業を受けている生徒「明治十四年の政変の結果、伊藤博文らを中心に薩長藩閥政府の専制的な体制を固めた

授業をしている講師「そうだよね。開拓使官有物払下げ事件は、何で中止されたか分かるかな

授業を受けている生徒「うーん。分からない」

授業をしている講師「開拓使官有物払下げ事件は、明治十四年の政変で中止された。なので、開拓使官有物払下げ事件は、明治十四年の政変で中止されたことも押さえておいてね

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師開拓使官有物払下げ事件とは、誰が誰らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとしたことかな

授業を受けている生徒「開拓使官有物払下げ事件とは、開拓使長官黒田清隆が、同郷の実業家五代友厚らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとしたこと。なので、正解は、黒田清隆が、五代友厚らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとした

授業をしている講師「そうだよね。明治六年の政変の関係図は、どうだったかな

授業を受けている生徒「征韓派は、西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣。内治派は、大久保利通・木戸孝允

授業をしている講師「そうだよね。明治六年の政変の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「明治六年の政変の結果、征韓派は敗れ、一斉辞任した

授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1871年~1885年(三条実美)までの乱について>
血税一揆→1873年(明治6年)、徴兵制度や学制に基づく小学校の設置による負担の増加をきらい、多くの農民が起こした

明治六年の政変→1873年(明治6年)、征韓論を主張する西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らと欧米視察から帰国しあくまでも内治優先を主張する大久保利通・木戸孝允らとが激しく対立した。征韓派は敗れ、一斉辞任した

佐賀の乱→1874年(明治7年)、征韓派前参議の1人江藤新平は、郷里の佐賀の不平士族に迎えられ、征韓党の首領となった。江藤新平が、政府に対し、反乱を起こした

台湾出兵→1874年(明治7年)、政府は、清国が現地住民の殺傷行為の責任を負わなかったため、台湾に出兵した
清国は、イギリスの調停もあって、日本の出兵を正当な行動と認め、事実上の賠償金を支払った

江華島事件→1875年(明治8年)、日本の軍艦雲揚が、首都漢城近くの江華島で朝鮮側を挑発し、戦闘に発展した

地租改正反対一揆→1876年(明治9年)、低米価のもとで過去の高米価も含め、平均した地価を基準に地租を定めることに大規模な農民が反発した

西南戦争→1877年、士族は、明治政府への反乱を起こした。しかし、反乱は、政府によって約半年で鎮圧された

開拓使官有物払下げ事件→1881年(明治14年)、北海道開拓所属の官有物を払い下げるにあたり、開拓使長官黒田清隆が、同郷の実業家五代友厚らが関係する関西貿易社に不当に安い価格で払い下げようとした
明治十四年の政変で中止された

明治十四年の政変→1881年(明治14年)、薩長藩閥政府の専制的な体制を固め、天皇制立憲国家への道を確定した

福島事件→1882年(明治15年)、福島県の自由党員・農民などが、弾圧された

秩父事件→1884年(明治17年)、秩父地方の農民が、困民党を組織し、自由党員とともに高利貸しへの返済延長や村民税の減税などを要求して蜂起した

大阪事件→1885年(明治18年)、大井憲太郎ら自由党左派が、朝鮮の内政改革を企て大阪で逮捕された

<明治六年の政変の関係図について>
征韓派→西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣

内治派→大久保利通・木戸孝允→〇

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