こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の乱を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1603年~1716年(徳川家康~徳川家継)までの乱について話しました。1603年~1716年(徳川家康~徳川家継)までの乱は、何だったかな

授業を受けている生徒「1603年~1716年(徳川家康~徳川家継)までの乱は、5つあった。1つ目は、1614年(慶長19年)~1615年(元和元年)、徳川家康は、大坂城(のちの大阪城)を拠点とする豊臣秀頼を滅ぼした坂の役。2つ目は、1629年(寛永6年)、幕府が、後水尾天皇が幕府の了解を得ず、大徳寺などの僧侶に紫衣着用を許可したことを違法だと問題にした。幕府は、大徳寺などの僧侶に紫衣着用を許可したことを取り消し、抗議した大徳寺の沢庵らを流罪にした紫衣事件。3つ目は、1637年(寛永14年)、キリシタン農民による一揆の島原の乱( 島原・天草の乱、島原・天草一揆)。4つ目は、1651年7月(慶安4年)、由井正雪・丸橋忠彌らが江戸幕府の転覆を企てた慶安の変。5つ目は、1669年(寛文9年)、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大坂冬の陣と大坂夏の陣を順番通りに並べ替えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大坂冬の陣は、慶長19年。大坂夏の陣は、慶長20年。なので、正解は、大坂冬の陣→大坂夏の陣

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1637年(寛永14年)、キリシタン農民による一揆を何と言うか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1637年(寛永14年)、キリシタン農民による一揆は、島原の乱( 島原・天草の乱、島原・天草一揆)と言う。なので、正解は、島原の乱( 島原・天草の乱、島原・天草一揆)



授業をしている講師「そうだよね。江戸時代始まりと終わりは、いつからいつまでだったかな

授業を受けている生徒「江戸時代始まりと終わりは、1603年~1868年



授業をしている講師「そうだよね。1603年~1716年(徳川家康~徳川家継)で思い出すことはないかな

授業を受けている生徒「1603年~1716年(徳川家康~徳川家継)で思い出すことは、徳川家綱・徳川綱吉・徳川家宣







授業をしている講師「そうだよね。誰が、徳川家綱を支えたんだったかな

授業を受けている生徒保科正之・松平信綱などが、徳川家綱を支えた」

授業をしている講師「そうだよね。1651年(慶安4年)、50歳未満の大名に末期養子を認めたことを何と言ったかな

授業を受けている生徒「1651年(慶安4年)、50歳未満の大名に末期養子を認めたことを末期養子禁止の緩和と言った

授業をしている講師「そうだよね。誰が、徳川綱吉を支えたんだったかな

授業を受けている生徒柳沢吉保の前は、堀田正俊が徳川綱吉を支えた」

授業をしている講師「そうだよね。徳川綱吉に収入増加の方策として貨幣の改鋳を上申したのは、誰だったかな

授業を受けている生徒「徳川綱吉に収入増加の方策として貨幣の改鋳を上申したのは、荻原重秀

授業をしている講師「そうだよね。誰が、徳川家宣を支えたんだったかな

授業を受けている生徒間部詮房・新井白石が、徳川家宣を支えた」

授業をしている講師「そうだよね。生類憐みの令を廃止は、1709年(宝永6年)。生類憐れみの令が始まったのは、何年だったかな

授業を受けている生徒「生類憐れみの令が始まったのは、1685年(貞享2年)

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の乱を押さえるについて話します。早速だけど、徳川吉宗は何年に在任し、徳川家斉は何年まで在任したのか分かるかな

授業を受けている生徒「うーん。分からない」

授業をしている講師「徳川吉宗は1716年に在任し、徳川家斉は1837年まで在任した。徳川吉宗と徳川家斉は、江戸時代の何代目将軍だったかな



授業を受けている生徒「徳川吉宗は、8代目将軍。徳川家斉は、11代目将軍」

授業をしている講師「そうだよね。今回は、1716年~1837年までの乱を押さえる」

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師1716年~1837年(徳川吉宗~徳川家斉)までの乱は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1716年~1837年(徳川吉宗~徳川家斉)までの乱は、5つあった。1つ目は、1733年(享保18年)、都市に住む貧しい人が、米価の引き下げを求め、商人を襲った民衆運動の享保の打ちこわし。2つ目は、1758年、復古派の公家たちと竹内式部が、摂家によって処分された宝暦事件。3つ目は、1767年、江戸で山県大弐が尊王斥覇を説き、幕府を批判し死罪となった明和事件。4つ目は、1789年(天明7年)5月、江戸・大阪など当時の主要都市を中心に30か所あまりで発生した天明の打ちこわし。5つ目は、1806年(文化3年)、ロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた文化露寇

授業をしている講師「残念ながら、1716年~1837年(徳川吉宗~徳川家斉)までの乱は、5つだけではない。享保の打ちこわし・宝暦事件・明和事件・天明の打ちこわし・文化露寇以外に3つあった。1つ目は、1788年、光格天皇が父である閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとして幕府に拒否された尊号一件。2つ目は、1808年(文化5年)、英国軍艦フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎港に侵入し、オランダ商館員から食糧・薪水を奪ったフェートン号事件。3つ目は、1811年(文化8年)、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニンらが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、日本に抑留されたゴローニン事件

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師フェートン号事件の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「フェートン号事件の結果、長崎奉行松平康英が、責任をとって切腹した

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1788年、光格天皇がその父である閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとして幕府に拒否されたことを何と言うのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1788年、光格天皇が父である閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとして幕府に拒否されたことを尊号一件と言う。なので、正解は、尊号一件

授業をしている講師「そうだよね。例えば、享保の打ちこわしとは、1789年(天明7年)5月、江戸・大阪など当時の主要都市を中心に30か所あまりで発生したことであるとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「享保の打ちこわしとは、1733年(享保18年)、都市に住む貧しい人が、米価の引き下げを求め、商人を襲う民衆運動。1789年(天明7年)5月、江戸・大阪など当時の主要都市を中心に30か所あまりで発生したのは、天明の打ちこわし。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の乱を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の乱を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1716年~1837年(徳川吉宗~徳川家斉)までの乱について>
享保の打ちこわし→1733年(享保18年)、都市に住む貧しい人が、米価の引き下げを求め、商人を襲った民衆運動

宝暦事件→1758年、復古派の公家たちと竹内式部が、摂家によって処分された

明和事件→1767年、江戸で山県大弐が尊王斥覇を説き、幕府を批判し死罪となった

尊号一件→1788年、光格天皇が父である閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとして幕府に拒否された

天明の打ちこわし→1789年(天明7年)5月、江戸・大阪など当時の主要都市を中心に30か所あまりで発生した

文化露寇→1806年(文化3年)、ロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた

フェートン号事件→1808年(文化5年)、英国軍艦フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎港に侵入し、オランダ商館員から食糧・薪水を奪った
長崎奉行松平康英が、責任をとって切腹した

ゴローニン事件→1811年(文化8年)、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニンらが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、日本に抑留された

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