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基礎力

【基礎日本史講座:84講】大正時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度について話しました。1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年までの制度は、15個あった。1つ目は、1886年、森有礼文部大臣のもとで、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備した学校令。2つ目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例。3つ目は、1888年、政府が国会開設に先立ち地方統治構造を固めるために制定された市制・町村制。4つ目は、1889年2月11日、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。また天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた大日本帝国憲法(明治憲法)。5つ目は、1889年2月11日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた皇室典範。6つ目は、1890年、地方自治制度の一環として制定された府県制・郡制。7つ目は、1890年、忠君愛国が学校教育の基本であることを強調した教育に関する勅語(教育勅語)。8つ目は、1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった貨幣法。9つ目は、1899年、第2次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために文官任用令改正。10個目は、1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった治安警察法。11個目は、1900年、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを明記した軍部大臣現役武官制。12個目は、1903年、小学校の教科書を文部省の著作に限ることを定めた固定教科書。13個目は、1906年、第1次西園寺公望内閣が、軍事的な配慮もあり、全国鉄道網の統一管理を目指した鉄道国有法。14個目は、1908年、政府が、勤倹節約・皇室の尊重を国民に求めた戊申詔書。15個目は、1911年、政府が、労働条件を改善し労資対立を緩和しようとする社会政策の立場で制定した工場法

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1889年2月11日、天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた大日本帝国憲法(明治憲法)が定められた。同日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた皇室典範が定められた。下線部の大日本帝国憲法(明治憲法)の特徴を4文字で表しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大日本帝国憲法(明治憲法)は、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。なので、正解は、欽定憲法



授業をしている講師「そうだよね。例えば、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを何と言うか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを軍部大臣現役武官制と言う。なので、正解は、軍部大臣現役武官制

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の制度を押さえるについて話します。大正時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の制度は、3つある。1つ目は、1919年、原敬内閣が、選挙権の納税資格を3円以上に引き上げ、導入した小選挙区制。2つ目は、1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた治安維持法。3つ目は、1925年、加藤高明内閣が、満25歳以上の男性が衆議院議員の選挙権を持つことを定めた普通選挙法かな

授業をしている講師「そうだよね。小選挙区制の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「小選挙区制の結果、普通選挙を要求する運動が高まり、1920年、数万人規模の示威行動が起こった

授業をしている講師「そうだよね。例えば、原敬内閣が、満25歳以上の男性が衆議院議員の選挙権を持つことを定めた普通選挙法を制定したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「原敬内閣は、1919年、選挙権の納税資格を3円以上に引き上げ、小選挙区制を導入した。普通選挙法を制定したのは、加藤高明内閣。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、治安警察法と治安維持法の違いが分かるに簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「治安警察法は、1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった。治安維持法は、1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた。なので、正解は、治安警察法は、1900年、第2次山県有朋内閣が、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まりました。一方、治安維持法は、1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めましたかな

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、昭和時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の制度について>
小選挙区制→1919年、原敬内閣が、選挙権の納税資格を3円以上に引き上げ、導入した
普通選挙を要求する運動が高まり、1920年、数万人規模の示威行動が起こった

治安維持法→1925年、加藤高明内閣が、国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた

普通選挙法→1925年、加藤高明内閣が、満25歳以上の男性が衆議院議員の選挙権を持つことを定めた

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:83講】明治時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1871年~1885年まで(明治時代の太政大臣の時代)の制度について話しました。1871年~1885年まで(明治時代の太政大臣の時代)の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「1871年~1885年までの制度は、20個あった。1つ目は、1872年、華族・士族・平民という新たな族籍に基づく統一的な戸籍編成を行った壬申戸籍。2つ目は、1872年、明治維新政府が出した日本の近代教育制度に関する最初の基本法令の学制。3つ目は、1872年、渋沢栄一を中心とし、発行する銀行券の正貨兌換を義務付けた国立銀行条例。4つ目は、1872年、古代の兵制を援用し、四民平等の原則に基づくことを強調した徴兵告諭。5つ目は、1873年1月、国民皆兵を原則とした徴兵令。6つ目は、1873年、課税の基準を不安定な収穫高から一定した地価に変更する・旧来の石高制に基づく物納から金納に改める・地券所有者を地租納税者とすることが定められた地租改正条例。7つ目は、1873年、政府は、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた秩禄奉還の法。8つ目は、1874年、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的とし、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした屯田兵制度。9つ目は、1875年6月、政府は、民権運動家たちが、新聞や雑誌で活発に政府を攻撃したので、言論・出版を取り締まるために出した讒謗律・新聞紙条例。10個目は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃した秩禄処分。11個目は、1876年、大礼服着用の場合と軍人・警察・官吏などが制服を着用している場合を除き、帯刀が禁止された廃刀令。12個目は、1878年、郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則の地方三新法。13個目は、1879年、日本政府は、琉球藩及び琉球王国の廃止と沖縄県の設置を強行した琉球処分。14個目は、1879年、全国画一の学区制を廃止し、町村を小学校設置単位とした。また小学校の管理も地方に移管し、就学義務を大幅に緩和した教育令。15個目は、1880年4月、政社の活動を制限した集会条例。16個目は、1881年、政府は、大隈重信を世論の動きと関係があると判断し、罷免した。また欽定憲法制定の基本方針を決定した国会開設の勅諭。17個目は、1884年、華族の範囲を広げ、旧上層公家・大名以外からも国家に貢献した者が家族になれるとした。また将来の上院(貴族院)の土台を作った華族令。18個目は、1885年、銀兌換の銀行券を発行した銀本位制度。19個目は、1885年、各省の長官は国務大臣として自省の任務に関して天皇に直接責任を負うだけはなく、国政全体に関しても総理大臣のもとに閣議の一員として直接参画することになった内閣制度。20個目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例

授業をしている講師「そうだよね。例えば、秩禄奉還の法と秩禄処分の違いが分かるように簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「秩禄奉還の法は、1873年、政府が、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた。秩禄処分は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃した。なので、正解は、秩禄奉還の法は、1873年、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた。一方、秩禄処分は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃したかな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、明治時代、士族の主な特権が奪われた制度を3つ答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「明治時代、士族の主な特権が奪われた原因は、秩禄奉還の法・秩禄処分・廃刀令。なので、正解は、秩禄奉還の法・秩禄処分・廃刀令



授業をしている講師「正解。今回は、1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度について話します。1885年~1912年までの制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1885年~1912年までの制度は、15個ある。1つ目は、1886年、森有礼文部大臣のもとで、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備した学校令。2つ目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例。3つ目は、1888年、政府が国会開設に先立ち地方統治構造を固めるために制定された市制・町村制。4つ目は、1889年2月11日、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。また天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた大日本帝国憲法(明治憲法)。5つ目は、1889年2月11日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた皇室典範。6つ目は、1890年、地方自治制度の一環として制定された府県制・郡制。7つ目は、1890年、忠君愛国が学校教育の基本であることを強調した教育に関する勅語(教育勅語)。8つ目は、1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった貨幣法。9つ目は、1899年、第2次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために文官任用令改正。10個目は、1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった治安警察法。11個目は、1900年、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを明記した軍部大臣現役武官制。12個目は、1903年、小学校の教科書を文部省の著作に限ることを定めた固定教科書。13個目は、1906年、第1次西園寺公望内閣が、軍事的な配慮もあり、全国鉄道網の統一管理を目指した鉄道国有法。14個目は、1908年、政府が、勤倹節約・皇室の尊重を国民に求めた戊申詔書。15個目は、1911年、政府が、労働条件を改善し労資対立を緩和しようとする社会政策の立場で制定した工場法かな

授業をしている講師「そうだよね。鉄道国有法の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「鉄道国有法の結果、主要幹線の民営鉄道17社を買収し、国有化した

授業をしている講師「そうだよね。工場法の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「工場法の結果、実施は、1916年にずれ込んだ

授業をしている講師「そうだよね。例えば、選択肢は、明治時代の教育についてのものである。選択肢を古い順に並び変えなさい。A学制 B教育令 C学校令 D教育に関する勅語(教育勅語) E固定教科書。またC学校令と関係がある文部大臣を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「A学制は、1872年。B教育令は、1879年。C学校令は、1886年。D教育に関する勅語(教育勅語) は、1890年。E固定教科書は、1903年。なので、A→ B→C→D→E。C学校令と関係がある文部大臣は、森有礼文部大臣。なので、正解は、A→ B→C→D→E・森有礼かな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1885年、1⃣制度を採用し、銀兌換の銀行券を発行した。1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった2⃣制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった3⃣が出された。1⃣から3⃣を埋めなさい。また下線部の日清戦争の賠償金は、日本全権の誰と清国全権の誰と何条約で決められたのか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1885年、銀本位制度を採用し、銀兌換の銀行券を発行した。なので、1⃣は、銀本位。1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった貨幣法が出された。なので、2⃣は、金本位。3⃣は、貨幣法。日清戦争の賠償金は、1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章との間で下関条約で決められた。なので、正解は、1⃣は、銀本位・2⃣は、金本位・3⃣は、貨幣法・日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章・下関条約かな



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1885年~1912年まで(明治時代の内閣総理大臣の時代)の制度について>
学校令→1886年、森有礼文部大臣のもとで、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備した

保安条例→1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した
1889年の憲法発布によって政党再建に向かっていった

市制・町村制→1888年、政府が国会開設に先立ち地方統治構造を固めるため制定された

大日本帝国憲法(明治憲法)→1889年2月11日、天皇が定めて国民に与える欽定憲法。また天皇と行政府に極めて強い権限が与えられた

皇室典範→1889年2月11日、皇位の継承・摂政の制などについて定められた

府県制・郡制→1890年、地方自治制度の一環として制定された

教育に関する勅語(教育勅語)→1890年、忠君愛国が学校教育の基本であることを強調した

貨幣法→1897年、日清戦争の賠償金の一部を準備金として欧米諸国にならった金本位制を採用し、貨幣価値の安定と貿易の振興をはかった

文官任用令改正→1899年、第2次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために改正

治安警察法→1900年、政府が、労働者の団結権・ストライキ権を制限し、労働運動を取り締まった

軍部大臣現役武官制→1900年、政党の力が軍部に及ぶのを阻むために現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣になれないことを明記した

固定教科書→1903年、小学校の教科書を文部省の著作に限ることを定めた

鉄道国有法→1906年、第1次西園寺公望内閣が、軍事的な配慮もあり、全国鉄道網の統一管理を目指した
主要幹線の民営鉄道17社を買収し、国有化した

戊申詔書→1908年、政府が、勤倹節約・皇室の尊重を国民に求めた

工場法→1911年、政府が、労働条件を改善し労資対立を緩和しようとする社会政策の立場で制定した
実施は、1916年にずれ込んだ

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:82講】明治時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、1868年~1871年まで(明治時代の太政大臣以前)の制度を押さえるについて話しました。1868年~1871年まで(明治時代の太政大臣以前)の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「1868年~1871年までの制度は、8個あった。1つ目は、1868年3月、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が、公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調するために出された五箇条の御誓文。2つ目は、政府は、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の神仏習合を禁じ、神道を国教とする方針を打ち出した神仏分離令。3つ目は、1868年、全国の民衆に向けて、君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説いた。また徒党・強訴・キリスト教を改めて厳禁にし、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いだ五榜の掲示。4つ目は、1868年9月、明治と改元し、天皇一代に元号を一つとした一世一元制。5つ目は、1870年、天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を祭政一致の国家とする国家方針を示した大教宣布の詔。6つ目は、1871年、前島密の建議によって、飛脚に代わる官営の郵便制度。7つ目は、1871年、金本位制を建前とする新貨条例。8つ目は、1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した廃藩置県

授業をしている講師「そうだよね。例えば、明治時代以前から一世一元制だったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「一世一元制とは、天皇一代に元号を一つとすること。天皇一代に元号を一つにすることは、1868年9月、明治と改元したことで始まった。なので、正解は、

授業をしている講師「そうだよね。例えば、政府は、神仏分離令を出したことで、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の1⃣を禁じ、2⃣を国教とする方針を打ち出した。1⃣2⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「政府は、神仏分離令を出し、打ち出したのは、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の神仏習合を禁じ、神道を国教とする方針。なので、正解は、1⃣は、神仏習合・2⃣は、神道



授業をしている講師「正解。今回は、1871年~1885年まで(明治時代の太政大臣の時代)の制度について話します。1871年~1885年までの制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1871年~1885年までの制度は、15個ある。1つ目は、1872年、明治維新政府が出した日本の近代教育制度に関する最初の基本法令の学制。2つ目は、1872年、渋沢栄一を中心とし、発行する銀行券の正貨兌換を義務付けた国立銀行条例。3つ目は、1872年、古代の兵制を援用し、四民平等の原則に基づくことを強調した徴兵告諭。4つ目は、1873年1月、国民皆兵を原則とした徴兵令。5つ目は、1872年、華族・士族・平民という新たな族籍に基づく統一的な戸籍編成を行った壬申戸籍。6つ目は、1873年、課税の基準を不安定な収穫高から一定した地価に変更する・旧来の石高制に基づく物納から金納に改める・地券所有者を地租納税者とすることが定められた地租改正条例。7つ目は、1874年、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的とし、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした屯田兵制度。8つ目は、1875年6月、政府は、民権運動家たちが、新聞や雑誌で活発に政府を攻撃したので、言論・出版を取り締まるために出した讒謗律・新聞紙条例。9つ目は、1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃した秩禄処分。10個目は、1876年、大礼服着用の場合と軍人・警察・官吏などが制服を着用している場合を除き、帯刀が禁止された廃刀令。11個目は、1879年、日本政府は、琉球藩及び琉球王国の廃止と沖縄県の設置を強行した琉球処分。12個目は、1879年、全国画一の学区制を廃止し、町村を小学校設置単位とした。また小学校の管理も地方に移管し、就学義務を大幅に緩和した教育令。13個目は、1881年、政府は、大隈重信を世論の動きと関係があると判断し、罷免した。また欽定憲法制定の基本方針を決定した国会開設の勅諭。14個目は、1885年、銀兌換の銀行券を発行した銀本位制度。15個目は、1885年、各省の長官は国務大臣として自省の任務に関して天皇に直接責任を負うだけはなく、国政全体に関しても総理大臣のもとに閣議の一員として直接参画することになった内閣制度かな

授業をしている講師「残念ながら、学制・国立銀行条例・徴兵告諭・徴兵令・壬申戸籍・地租改正条例・屯田兵制度・讒謗律・新聞紙条例・秩禄処分・廃刀令・琉球処分・教育令・国会開設の勅諭・銀本位制度・内閣制度以外に5つある。1つ目は、1873年、政府は、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた秩禄奉還の法。2つ目は、1878年、郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則の地方三新法。3つ目は、1880年4月、政社の活動を制限した集会条例。4つ目は、1884年、華族の範囲を広げ、旧上層公家・大名以外からも国家に貢献した者が家族になれるとした。また将来の上院(貴族院)の土台を作った華族令。5つ目は、1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した保安条例

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師どうして国立銀行条例が出されたのかな

授業を受けている生徒「国立銀行条例が出された理由は、政府は、商人・地主など民間の力で金貨と交換できる兌換銀行券を発行させようとしたからかな

授業をしている講師「そうだよね。学制・徴兵令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「学制・徴兵令の結果、血税一揆が起こった



授業をしている講師「そうだよね。徴兵令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「徴兵令の結果、士族・平民の別なく、満20歳に達した男性から選抜して3年間の兵役に服させる統一的な兵制が立てられた

授業をしている講師「そうだよね。壬申戸籍の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「壬申戸籍の結果、男女の差別はあったが、同じ義務を持つ国民が形成された

授業をしている講師「そうだよね。秩禄奉還の法・秩禄処分・廃刀令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「秩禄奉還の法・秩禄処分・廃刀令の結果、士族の主な特権が奪われた

授業をしている講師「そうだよね。地租改正条例の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「地租改正条例の結果、地租改正は、従来の年貢による収入を減らさない方針で進められていた。従来の年貢による収入を減らさない方針で進められていた結果、農民は、負担の軽減を求め、各地で地租改正反対の一揆を起こした。農民が、負担の軽減を求め、各地で地租改正反対の一揆を起こした結果、1877年、地租の税率が2.5%に引き下げられた

授業をしている講師「そうだよね。どうして集会条例が出されたのかな

授業を受けている生徒「集会条例が出された理由は、1880年3月、国会期成同盟が結成され、同盟参加の各地の政社の代表が署名した天皇宛ての国会開設請願書を太政官・元老院に提出しようとしたからかな

授業をしている講師「そうだよね。保安条例の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「保安条例の結果、1889年の憲法発布によって政党再建に向かっていった

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1872年、明治維新政府は、日本の近代教育制度に関する最初の基本法令の1⃣を出した。同年、古代の兵制を援用し、四民平等の原則に基づくことを強調した2⃣を出し、1873年1月、国民皆兵を原則とした3⃣を出した。3⃣の結果、士族・平民の別なく、満20歳に達した男性から選抜して3年間の兵役に服させる統一的な兵制が立てられた。1⃣・3⃣の結果、1873年、多くの農民が4⃣を起こした。1⃣から4⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1872年、明治維新政府が出した、日本の近代教育制度に関する最初の基本法令は、学制。なので、1⃣は、学制。1872年、古代の兵制を援用し、四民平等の原則に基づくことを強調し出されたのは、徴兵告諭。なので、2⃣は、徴兵告諭。1873年1月、国民皆兵を原則とし、結果、士族・平民の別なく、満20歳に達した男性から選抜して3年間の兵役に服させる統一的な兵制が立てられたのは、徴兵令。なので、3⃣は、徴兵令。学制・徴兵令の結果、1873年、多くの農民が起こしたのは、血税一揆。なので、4⃣は、血税一揆。正解は、1⃣は、学制・2⃣は、徴兵告諭・3⃣は、徴兵令・4⃣は、血税一揆

授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<1871年~1885年まで(明治時代の太政大臣の時代)の制度について>
壬申戸籍→1872年、華族・士族・平民という新たな族籍に基づく統一的な戸籍編成を行った
男女の差別はあったが、同じ義務を持つ国民が形成された

学制→1872年、明治維新政府が出した日本の近代教育制度に関する最初の基本法令
血税一揆が起こった

国立銀行条例→1872年、渋沢栄一を中心とし、発行する銀行券の正貨兌換を義務付けた

徴兵告諭→1872年、古代の兵制を援用し、四民平等の原則に基づくことを強調した

徴兵令→1873年1月、国民皆兵を原則とした
士族・平民の別なく、満20歳に達した男性から選抜して3年間の兵役に服させる統一的な兵制が立てられた
血税一揆が起こった

地租改正条例→1873年、課税の基準を不安定な収穫高から一定した地価に変更する・旧来の石高制に基づく物納から金納に改める・地券所有者を地租納税者とすることが定められた
従来の年貢による収入を減らさない方針で進められていた
従来の年貢による収入を減らさない方針で進められていた結果、農民は、負担の軽減を求め、各地で地租改正反対の一揆を起こした
農民が、負担の軽減を求め、各地で地租改正反対の一揆を起こした結果、1877年、地租の税率が2.5%に引き下げられた

秩禄奉還の法→1873年、政府は、希望者に対し、秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給することを定めた
士族の主な特権が奪われた

屯田兵制度→1874年、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的とし、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした

讒謗律・新聞紙条例→1875年6月、政府は、民権運動家たちが、新聞や雑誌で活発に政府を攻撃したので、言論・出版を取り締まるために出した

秩禄処分→1876年、全ての受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与え、秩禄を全廃した
士族の主な特権が奪われた

廃刀令→1876年、大礼服着用の場合と軍人・警察・官吏などが制服を着用している場合を除き、帯刀が禁止された
士族の主な特権が奪われた

地方三新法→1878年、郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則

琉球処分→1879年、日本政府は、琉球藩及び琉球王国の廃止と沖縄県の設置を強行した

教育令→1879年、全国画一の学区制を廃止し、町村を小学校設置単位とした。また小学校の管理も地方に移管し、就学義務を大幅に緩和した

集会条例→1880年4月、政社の活動を制限した

国会開設の勅諭→1881年、政府は、大隈重信を世論の動きと関係があると判断し、罷免した。また欽定憲法制定の基本方針を決定した

華族令→1884年、華族の範囲を広げ、旧上層公家・大名以外からも国家に貢献した者が家族になれるとした。また将来の上院(貴族院)の土台を作った

銀本位制度→1885年、銀兌換の銀行券を発行した

内閣制度→1885年、各省の長官は国務大臣として自省の任務に関して天皇に直接責任を負うだけはなく、国政全体に関しても総理大臣のもとに閣議の一員として直接参画することになった

保安条例→1887年、政府は、多くの在京の民権派を東京から追放するために公布した
1889年の憲法発布によって政党再建に向かっていった

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:81講】明治時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の制度を押さえるについて話しました。江戸時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の制度は、23個あった。1つ目は、1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令。2つ目は、1615年、大名の居城を1つに限った一国一城令。3つ目は、1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した禁中並公家諸法度。4つ目は、1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した武家諸法度。5つ目は、1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度の寛永令。6つ目は、1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された田畑永代売買の禁止令。7目は、1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された寺院法度。8つ目は、1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した諸宗寺院法度。9つ目は、1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された諸社禰宜神主法度。10個目は、1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された分地制限令。11個目は、1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた服忌令。12個目は、1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた生類憐みの令。12個目は、1715年、貿易額を制限した海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)。13個目は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令。14個目は、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書。15個目は、1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された棄損令。16個目は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した旧里帰農令。17個目は、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁。18個目は、 1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令。19個目は、1825年、外国船を撃退するように命じた異国船打払令(無二念打払令)。20個目は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する人返しの法。21個目は、1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした上知令。22個目は、1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天保の薪水給与令。23個目は、1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた五品江戸廻送令

授業をしている講師「そうだよね。例えば、江戸時代になり、信仰・学問・出版についての規制が出された。信仰については、1612年、直轄領にある宗教(特に1⃣)を信仰し布教したりすることを禁じた2⃣が出された。学問については、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(3⃣)においては、4⃣だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた5⃣が出された。。出版については、1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した6⃣が出された。1⃣から6⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1612年、直轄領にある宗教の中で、特に信仰し布教することを禁止されたのは、キリスト教。なので、1⃣は、キリスト教。1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令が出された。なので、2⃣は、禁教令。幕府が、運営する聖堂学問所のことを昌平坂学問所と言う。なので、3⃣は、昌平坂学問所。1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁が出された。なので、4⃣は、朱子学。5⃣は、寛政異学の禁。1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令が出された。なので、6⃣は、出版統制令。正解は、1⃣は、キリスト教・2⃣は、禁教令・3⃣は、昌平坂学問所・4⃣は、朱子学・5⃣は、寛政異学の禁・6⃣は、出版統制令



授業をしている講師「正解。例えば、戦国時代、家臣相互の紛争を自分たちの実力による喧嘩で解決することを禁止し、全ての紛争を大名による裁判に委ねさせ、領国の平和を実現することにした喧嘩両成敗法が出された。時代が変わり、江戸時代は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令が出され、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書が出されたと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「戦国時代、家臣相互の紛争を自分たちの実力による喧嘩で解決することを禁止し、全ての紛争を大名による裁判に委ねさせ、領国の平和を実現することにした喧嘩両成敗法が出された。なので、戦国時代の内容は、。1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令が出された。また1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書が出された。なので、江戸時代の内容も。正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。明治時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「明治時代の始まりと終わりは、1868〜1912年



授業をしている講師「そうだよね。今回だけで明治時代の制度を勉強した場合、日本史を勉強することが嫌になる。なので、今回は、明治時代の太政大臣以前の時代の制度について勉強することにする。明治時代の太政大臣は、誰だったかな

授業を受けている生徒「明治時代の太政大臣は、三条実美



授業をしている講師「そうだよね。三条実美は、何年から何年まで在任したかな

授業を受けている生徒「三条実美は、1871年~1885年まで在任した

授業をしている講師「なので、今回は、1868年~1871年までの制度を押さえる」

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師1868年~1871年までの制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1868年~1871年までの制度は、8個ある。1つ目は、1868年3月、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が、公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調するために出された五箇条の御誓文。2つ目は、政府は、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の神仏習合を禁じ、神道を国教とする方針を打ち出した神仏分離令。3つ目は、1868年、全国の民衆に向けて、君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説いた。また徒党・強訴・キリスト教を改めて厳禁にし、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いだ五榜の掲示。4つ目は、1868年9月、明治と改元し、天皇一代に元号を一つとした一世一元制。5つ目は、1870年、天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を祭政一致の国家とする国家方針を示した大教宣布の詔。6つ目は、1871年、前島密の建議によって、飛脚に代わる官営の郵便制度。7つ目は、1871年、金本位制を建前とする新貨条例。8つ目は、1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した廃藩置県かな

授業をしている講師「そうだよね。廃藩置県の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「廃藩置県の結果、中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たった。府知事・県令が地方行政に当たった結果、国内の政治統一が完成した

授業をしている講師「そうだよね。新貨条例の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「新貨条例の結果、十進法を採用し、円・銭・厘を単位とする新硬貨を作った。しかし、実際には、開港場では、銀貨が、国内では、紙幣が主に使用されていた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した廃藩置県が行われた。廃藩置県が行われた後も旧大名である知藩事が、地方行政に当たったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「廃藩置県の結果、中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たった。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<明治時代の太政大臣以前の時代(1868年~1871年)までの制度について>
五箇条の御誓文→1868年3月、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が、公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調するために出された

神仏分離令→政府は、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の神仏習合を禁じ、神道を国教とする方針を打ち出した

五榜の掲示→1868年、全国の民衆に向けて、君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説いた。また徒党・強訴・キリスト教を改めて厳禁にし、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いだ

一世一元制→1868年9月、明治と改元し、天皇一代に元号を一つとした

大教宣布の詔→1870年、天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を祭政一致の国家とする国家方針を示した

官営の郵便制度→1871年、前島密の建議によって、飛脚に代わる

新貨条例→1871年、金本位制を建前とする
十進法を採用し、円・銭・厘を単位とする新硬貨を作った
実際には、開港場では、銀貨が、国内では、紙幣が主に使用されていた

廃藩置県→1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した
中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たった
府知事・県令が地方行政に当たった結果、国内の政治統一が完成した

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【基礎日本史講座:80講】江戸時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、安土桃山時代の制度を押さえるについて話しました。安土桃山時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「安土桃山時代の制度は、4つあった。1つ目は、1587年、豊臣秀吉が、宣教師の国外追放を命じたバテレン(宣教師)追放令。2つ目は、1588年、豊臣秀吉が、一揆を防止し、農民を農業に専念させるために出した刀狩令。3つ目は、1588年、豊臣秀吉が、倭寇などの海賊行為を禁止した海賊取締令。4つ目は、1590年、豊臣秀吉が、武家奉公(兵)が町人・百姓になること、百姓が商人・職人になることを禁じた人掃令(身分統制令)

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1588年、織田信長が、一揆を防止し、農民を農業に専念させるために刀狩令を出したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1588年、刀狩令を出したのは、豊臣秀吉。なので、正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の制度を押さえるについて話します。江戸時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「江戸時代の制度は、23個ある。1つ目は、1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令。2つ目は、1615年、大名の居城を1つに限った一国一城令。3つ目は、1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した禁中並公家諸法度。4つ目は、1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した武家諸法度。5つ目は、1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度の寛永令。6つ目は、1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された田畑永代売買の禁止令。7目は、1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された寺院法度。8つ目は、1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した諸宗寺院法度。9つ目は、1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された諸社禰宜神主法度。10個目は、1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された分地制限令。11個目は、1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた服忌令。12個目は、1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた生類憐みの令。12個目は、1715年、貿易額を制限した海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)。13個目は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令。14個目は、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書。15個目は、1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された棄損令。16個目は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した旧里帰農令。17個目は、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁。18個目は、 1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令。19個目は、1825年、外国船を撃退するように命じた異国船打払令(無二念打払令)。20個目は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する人返しの法。21個目は、1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした上知令。22個目は、1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天保の薪水給与令。23個目は、1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた五品江戸廻送令かな

授業をしている講師「そうだよね。どうして寺院法度を出したのかな

授業を受けている生徒「寺院法度を出した理由は、宗派ごとに本山・本寺の地位を保障し末寺を組織させる本末制度のため

授業をしている講師「そうだよね。棄損令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「棄損令の結果、米の売却などを扱う札差に貸金を放棄させた

授業をしている講師「そうだよね。上知令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「上知令の結果、譜代大名・旗本に反対され、上知令は実施されなかった

授業をしている講師「そうだよね。五品江戸廻送令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「五品江戸廻送令の結果、輸出向け商品を取り扱った在郷商人・商取引の自由を主張する列国の反対で効果が上がらなかった

授業をしている講師「そうだよね。例えば、教師Aと学生Bの会話です。A「1⃣と2⃣の違いは、何かな」B「1⃣は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励しました。2⃣は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制しました」1⃣・2⃣を埋めなさい問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励のは、旧里帰農令。1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制したのは、人返しの法。なので、正解は、1⃣は、旧里帰農令・2⃣は、人返しの法

授業をしている講師「そうだよね。江戸時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の始まりと終わりは、1603年~1868年



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の制度について>
禁教令→1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた

一国一城令→1615年、大名の居城を1つに限った

禁中並公家諸法度→1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した

武家諸法度→1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した

寛永令→1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度

田畑永代売買の禁止令→1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された

寺院法度→1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された

諸宗寺院法度→1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した

諸社禰宜神主法度→1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された

分地制限令→1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された

服忌令→1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた

生類憐みの令→1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた

海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)→1715年、貿易額を制限した

相対済し令→1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する

公事方御定書→1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた

棄損令→1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された
米の売却などを扱う札差に貸金を放棄させた

旧里帰農令→1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した

寛政異学の禁→1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた

出版統制令→1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した

異国船打払令(無二念打払令)→1825年、外国船を撃退するように命じた

人返しの法→1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する

上知令→1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした
譜代大名・旗本に反対され、上知令は実施されなかった

天保の薪水給与令→1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天

五品江戸廻送令→1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた
輸出向け商品を取り扱った在郷商人・商取引の自由を主張する列国の反対で効果が上がらなかった

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