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【基礎日本史講座:77講】室町時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「室町時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、南北朝時代の制度を押さえるについて話しました。南北朝時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「南北朝時代の制度は、2つあった。1つは、1336年、足利尊氏が、持明院統の光明天皇を立て、幕府を開く目的のもとの当面の政治方針を明らかにした建武式目。もう1つは、1352年、軍費調達のために守護に一国内の荘園・公領の年貢の半分を徴発する権限を認めた半済令

授業をしている講師「そうだよね。例えば、どうして後醍醐天皇は、京都に逃れ、吉野の山中に籠り、正統の皇位にあることを主張したのかを簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「後醍醐天皇は、南朝(大覚寺統)の天皇。南朝(大覚寺統)の天皇と北朝(持明院統)の天皇が出て来るのは、南北朝の動乱。南北朝の動乱のきっかけは、1336年、足利尊氏が、持明院統の光明天皇を立て、幕府を開く目的のもとの当面の政治方針を明らかにした建武式目。なので、正解は、後醍醐天皇が、京都に逃れ、吉野の山中に籠り、正統の皇位にあることを主張した理由は、1336年、足利尊氏が、持明院統の光明天皇を立て、幕府を開く目的のもとの当面の政治方針を明らかにした建武式目を発表したからかな





授業をしている講師「正解。今回は、室町時代の制度を押さえるについて話します。室町時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「うーん。分からない」

授業をしている講師「室町時代の制度は、1500年、幕府が、日本私鋳銭以外の銭の請取り拒否を禁止した撰銭令

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師どうして撰銭令が出されたのかな

授業を受けている生徒「撰銭令が出された理由は、需要の増大とともに粗悪な私鋳銭も流通するようになった。粗悪な私鋳銭も流通するようになった結果、取引に当たって悪銭を嫌い、良質の銭(精銭)を選ぶ撰銭が行われ、円滑な流通が阻害されていたからかな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、需要の増大とともに粗悪な1⃣も流通するようになった。粗悪な1⃣も流通するようになった結果、取引に当たって2⃣を嫌い、3⃣を選ぶ撰銭が行われ、円滑な流通が阻害されていた。なので、1500年、幕府が、日本私鋳銭以外の銭の請取り拒否を禁止した4⃣を出した。1⃣から4⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「需要の増大とともに粗悪な私鋳銭も流通するようになった。なので、1⃣は、私鋳銭。粗悪な私鋳銭も流通するようになった結果、取引に当たって悪銭を嫌い、良質の銭(精銭)を選ぶ撰銭が行われ、円滑な流通が阻害されていた。なので、2⃣は、悪銭。3⃣は、良質の銭(精銭)。1500年、幕府が、日本私鋳銭以外の銭の請取り拒否を禁止するために出したのは、撰銭令。なので、4⃣は、撰銭令。正解は、1⃣は、私鋳銭・2⃣は、悪銭・3⃣は、良質の銭(精銭)・4⃣は、撰銭令

授業をしている講師「そうだよね。室町時代始まりと終わりは、いつからいつまでだったかな

授業を受けている生徒「室町時代始まりと終わりは、1336年~1573年



授業をしている講師「そうだよね。室町時代と重なっている時代は、何時代かな

授業を受けている生徒「室町時代と重なっている時代は、南北朝時代・戦国時代・安土桃山時代

授業をしている講師「正解。今回は、室町時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、戦国時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<室町時代の制度について>
撰銭令→1500年、幕府が、日本私鋳銭以外の銭の請取り拒否を禁止した

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:76講】南北朝時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「南北朝時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、鎌倉時代の制度を押さえるについて話しました。鎌倉時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「鎌倉時代の制度は、2つあった。1つは、1232年、源頼朝以来の先例・道理と呼ばれた武士社会での慣習・道徳に基づいて、守護・地頭の任務と権限を定めた。守護・地頭の任務と権限を定めたことで、御家人同士や御家人と荘園領主との間の紛争を公平に裁く基準を明らかにした武家の最初の法典の御成敗式目(貞永式目)51ヵ条。1297年、御家人の所領の質入れ・売買を禁止した。また永仁の徳政令発布までに質入れ・売却した御家人領を無償を取り戻させ、御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないなどの対策を取った永仁の徳政令

授業をしている講師「そうだよね。例えば、鎌倉幕府3代将軍1⃣以降、北条氏が鎌倉幕府を仕切っていた。鎌倉幕府執権は、2⃣から始まった。1232年、鎌倉幕府3代執権3⃣は、源頼朝以来の先例・道理と呼ばれた武士社会での慣習・道徳に基づいて、守護・地頭の任務と権限を定めた。守護・地頭の任務と権限を定めたことで、御家人同士や御家人と荘園領主との間の紛争を公平に裁く基準を明らかにした武家の最初の法典の4⃣を出した。4⃣の結果、幕府勢力の発展につれて公平な裁判を重視する武家法の影響が広まって行き、公家法・本所法の及ぶ土地にも武家法が影響を与えるようになり、武家法の効力を持つ範囲は、拡大して行った。1297年、鎌倉幕府9代執権5⃣が御家人の所領の質入れ・売買を禁止した。また6⃣発布までに質入れ・売却した御家人領を無償を取り戻させ、御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないなどの対策を取った6⃣を出した。6⃣の結果、6⃣の効果は、一時的だった。1⃣から6⃣を埋めなさい。また下線部のことを何と言うか答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「北条氏が鎌倉幕府を仕切っていたことを執権と言った。なので、下線部は、執権。執権は、鎌倉幕府3代将軍源実朝以降、始まった。なので、1⃣は、源実朝。鎌倉幕府初代執権は、北条時政。なので、2⃣は、北条時政。鎌倉幕府3代執権は、北条泰時。北条泰時は、1232年、御成敗式目(貞永式目)51ヵ条を出した。なので、3⃣は、北条泰時。4⃣は、御成敗式目(貞永式目)51ヵ条。鎌倉幕府9代執権は、北条貞時。北条貞時は、1297年、永仁の徳政令を出した。なので、5⃣は、北条貞時。6⃣は、永仁の徳政令。正解は、1⃣は、源実朝・2⃣は、北条時政・3⃣は、北条泰時・4⃣は、御成敗式目(貞永式目)51ヵ条・5⃣は、北条貞時・6⃣は、永仁の徳政令・下線部は、執権



授業をしている講師「正解。今回は、南北朝時代の制度を押さえるについて話します。南北朝時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「南北朝時代の制度は、2つある。1つは、1336年、足利尊氏が、持明院統の光明天皇を立て、幕府を開く目的のもとの当面の政治方針を明らかにした建武式目。もう1つは、1352年、軍費調達のために守護に一国内の荘園・公領の年貢の半分を徴発する権限を認めた半済令かな

授業をしている講師「そうだよね。建武式目の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「建武式目の結果、南北朝の動乱が始まった



授業をしている講師「そうだよね。半済令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「半済令の結果、守護は、権限を利用し、国内の荘園・公領を侵略した。また守護は、国内の荘園・公領を武士たちに分け与え、武士たちを統制下に繰り入れていった

授業をしている講師そうだよね。例えば、南北朝の動乱のきっかけを答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「南北朝の動乱は、朝廷が吉野の南朝(大覚寺統)と京都の北朝(持明院統)に分かれて対立し、 約60年間(1336〜1392年)続いた全国的内乱。南北朝の動乱のきっかけは、1336年、足利尊氏が、持明院統の光明天皇を立て、幕府を開く目的のもとの当面の政治方針を明らかにした建武式目。なので、正解は、建武式目

授業をしている講師「そうだよね。南北朝時代始まりと終わりは、いつからいつまでだったかな

授業を受けている生徒「南北朝時代始まりと終わりは、1336年~1392年



授業をしている講師「そうだよね。南北朝時代と重なっている時代は、何時代だったかな

授業を受けている生徒「南北朝時代と重なっている時代は、室町時代

授業をしている講師「正解。今回は、南北朝時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、室町時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<南北朝時代の制度について>
建武式目→1336年、足利尊氏が、持明院統の光明天皇を立て、幕府を開く目的のもとの当面の政治方針を明らかにした
南北朝の動乱が始まった

半済令→1352年、軍費調達のために守護に一国内の荘園・公領の年貢の半分を徴発する権限を認めた
守護は、権限を利用し、国内の荘園・公領を侵略した
守護は、国内の荘園・公領を武士たちに分け与え、武士たちを統制下に繰り入れていった

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:75講】鎌倉時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「鎌倉時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、平安時代の制度を押さえるについて話しました。平安時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「平安時代の制度は、2つあった。1つは、902年、醍醐天皇が、違法な土地所有を禁じた延喜の荘園整理令。もう1つは、1069年、後三条天皇が、藤原氏専権の経済基盤である荘園を整理し、その抑制と天皇権力及び国家財政の強化をはかった延久の荘園整理令

授業をしている講師「そうだよね。例えば、902年、1⃣が、違法な土地所有を禁じた2⃣を出した。しかし、2⃣の結果、戸籍・計帳の制度は崩れ、班田収授も実施できなくなっていた。また班田収授も実施できなくなっていた結果、3⃣・4⃣・5⃣の税を取立て、諸国・国家の財政維持をすることができなくなっていた。1⃣から5⃣まで埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「902年、違法な土地所有を禁じたのは、延喜の荘園整理令。延喜の荘園整理令を出したのは、醍醐天皇。なので、1⃣は、醍醐天皇。2⃣は、延喜の荘園整理令。班田収授も実施できなくなっていた結果、取立てできなくなった税は、租・調・庸。なので、3⃣は、。4⃣は、調。5⃣は、。正解は、1⃣は、醍醐天皇・2⃣は、延喜の荘園整理令・3⃣は、租・4⃣は、調・5⃣は、庸

授業をしている講師「そうだよね。例えば、教師Aと学生Bとの会話です。A「平安時代に出された荘園整理令は、902年に出された延喜の荘園整理令以外に1069年に出された1⃣がある。1⃣は、誰が出したのかな」B「1⃣は、2⃣が出しました」A「そうだよね。どうして2⃣は、1⃣を出したのかな」B「2⃣が、1⃣を出した理由は、荘園の増加が3⃣を圧迫していると判断したためです」1⃣から3⃣まで埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1069年に出された荘園整理令は、延久の荘園整理令。延久の荘園整理令を出したのは、後三条天皇。なので、1⃣は、延久の荘園整理令。2⃣は、後三条天皇。後三条天皇が、延久の荘園整理令を出した理由は、後三条天皇が、荘園の増加が公領(国衙領)を圧迫していると判断したためだった。なので、3⃣は、公領(国衙領)。正解は、1⃣は、延久の荘園整理令・2⃣は、後三条天皇・3⃣は、公領(国衙領)



授業をしている講師「正解。今回は、鎌倉時代の制度を押さえるについて話します。鎌倉時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「鎌倉時代の制度は、2つある。1つは、1232年、源頼朝以来の先例・道理と呼ばれた武士社会での慣習・道徳に基づいて、守護・地頭の任務と権限を定めた。守護・地頭の任務と権限を定めたことで、御家人同士や御家人と荘園領主との間の紛争を公平に裁く基準を明らかにした武家の最初の法典の御成敗式目(貞永式目)51ヵ条。1297年、御家人の所領の質入れ・売買を禁止した。また永仁の徳政令発布までに質入れ・売却した御家人領を無償を取り戻させ、御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないなどの対策を取った永仁の徳政令

授業をしている講師「そうだよね。御成敗式目(貞永式目)51ヵ条の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「御成敗式目(貞永式目)51ヵ条の結果、幕府勢力の発展につれて公平な裁判を重視する武家法の影響が広まって行った。武家法の影響が広まって行った結果、公家法・本所法の及ぶ土地にも武家法が影響を与えるようになり、武家法の効力を持つ範囲は、拡大して行った

授業をしている講師「そうだよね。永仁の徳政令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「永仁の徳政令の結果、永仁の徳政令の効果は、一時的だった

授業をしている講師「そうだよね。御成敗式目(貞永式目)51ヵ条は、誰が出したのかな

授業を受けている生徒「御成敗式目(貞永式目)51ヵ条は、鎌倉幕府3代執権北条泰時が出した

授業をしている講師「そうだよね。永仁の徳政令は、誰が出したのかな

授業を受けている生徒「永仁の徳政令は、鎌倉幕府9代執権北条貞時が出した

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1232年、鎌倉幕府4代将軍藤原頼経が、御成敗式目(貞永式目)51ヵ条を出したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の時には、北条氏が鎌倉幕府を仕切っていた執権が行われていた。1232年、御成敗式目(貞永式目)51ヵ条を出したのは、鎌倉幕府3代執権北条泰時。なので、正解は、



授業をしている講師「そうだよね。鎌倉時代始まりと終わりは、いつからいつまでだったかな

授業を受けている生徒「鎌倉時代始まりと終わりは、1185年~1333年



授業をしている講師「正解。今回は、鎌倉時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、南北朝時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<鎌倉時代の制度について>
御成敗式目(貞永式目)51ヵ条→1232年、源頼朝以来の先例・道理と呼ばれた武士社会での慣習・道徳に基づいて、守護・地頭の任務と権限を定めた。守護・地頭の任務と権限を定めたことで、御家人同士や御家人と荘園領主との間の紛争を公平に裁く基準を明らかにした武家の最初の法典
幕府勢力の発展につれて公平な裁判を重視する武家法の影響が広まって行った
武家法の影響が広まって行った結果、公家法・本所法の及ぶ土地にも武家法が影響を与えるようになり、武家法の効力を持つ範囲は、拡大して行った

永仁の徳政令→1297年、御家人の所領の質入れ・売買を禁止した。また永仁の徳政令発布までに質入れ・売却した御家人領を無償を取り戻させ、御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないなどの対策を取った
永仁の徳政令の効果は、一時的だった

基礎歴史ブログ3