生徒の成績を最大30点上げたオンライン講師の基礎歴史ブログ

生徒の成績を最大30点上げた経験があるので、【完全返金保証】。「授業が分からない」「過去問の解説が分からない」あなたでも歴史の知識を積み上げ、「授業が分かる」「過去問が解ける」あなたに。講義は何度でも受け直すことができます。

【特別日本史講座】拓殖大学2021年度2月選抜試験〔Ⅰ〕4を確認する

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

基礎歴史ブログ5

 あなたは、「拓殖大学は、余裕で合格できる」と思っていませんか。

 あなたは、「私は、偏差値60以上ある。なので、拓殖大学に余裕で合格できる」と思っていませんか。

 私は、あなたが偏差値60以上あったとしても、必ず拓殖大学に合格できるとは判断することはできません。

 あなたは、私に「あなた。何、寝言を言っているんですか」と思っていますよね。

 私は、寝言を言っているつもりはありません。

 あなたは、拓殖大学2021年度2月選抜試験日本史の問題を見たことは、ありますか。

 拓殖大学2021年度2月選抜試験日本史の問題に限らず、拓殖大学の日本史の入試問題は、基礎力を怠らずに勉強した受験生であれば、点数を積み上げることができます。

 あなたは、拓殖大学2021年度2月選抜試験日本史を何分で解き終わり、何点取ることができますか。


基礎歴史ブログ5

 あなたが、「拓殖大学は、余裕で合格できる」「私は、偏差値60以上ある。なので、拓殖大学に余裕で合格できる」と思っている場合、あなたは、拓殖大学2021年度2月選抜試験日本史を60分ではなく、40分で解き終え、全問正解できますよね。

 あなたは、「入試では満点を取らなくても、合格できるはずです」と思っていますよね。

 私も入試では満点を取らなくても、合格できることを知っています。

 しかし、私が、あなたに「40分で解き終え、全問正解して下さい」と話している理由は、あなたが「拓殖大学は、余裕で合格できる」「私は、偏差値60以上ある。なので、拓殖大学に余裕で合格できる」と思っているからです。

 拓殖大学2021年度2月選抜試験日本史の問題に限らず、拓殖大学の日本史の入試問題は、基礎力を怠らずに勉強した受験生であれば、点数を積み上げることができます。

 なので、偏差値60以下の受験生が拓殖大学に合格し、偏差値60以上のあなたが拓殖大学に不合格になることも十分にあり得ます。

 特別日本史では、拓殖大学入試試験日本史の問題の中から選んだ問題を解説します。

 あなたは、「拓殖大学の過去問は、買わなくて良いんですね」と思っていますよね。

 私は、特別日本史で拓殖大学入試試験日本史の問題を解説するにあたり、過去問まで掲載するつもりはありません。

 なので、あなたが特別日本史で拓殖大学入試試験日本史の問題の解説を受講する場合、必ず拓殖大学の過去問を自分で買って下さい。

 それでは、2021年度2月選抜試験〔Ⅰ〕4について解説します。

基礎歴史ブログ3

続きを読む

【基礎日本史講座:81講】明治時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の制度を押さえるについて話しました。江戸時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の制度は、23個あった。1つ目は、1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令。2つ目は、1615年、大名の居城を1つに限った一国一城令。3つ目は、1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した禁中並公家諸法度。4つ目は、1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した武家諸法度。5つ目は、1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度の寛永令。6つ目は、1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された田畑永代売買の禁止令。7目は、1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された寺院法度。8つ目は、1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した諸宗寺院法度。9つ目は、1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された諸社禰宜神主法度。10個目は、1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された分地制限令。11個目は、1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた服忌令。12個目は、1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた生類憐みの令。12個目は、1715年、貿易額を制限した海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)。13個目は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令。14個目は、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書。15個目は、1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された棄損令。16個目は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した旧里帰農令。17個目は、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁。18個目は、 1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令。19個目は、1825年、外国船を撃退するように命じた異国船打払令(無二念打払令)。20個目は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する人返しの法。21個目は、1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした上知令。22個目は、1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天保の薪水給与令。23個目は、1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた五品江戸廻送令

授業をしている講師「そうだよね。例えば、江戸時代になり、信仰・学問・出版についての規制が出された。信仰については、1612年、直轄領にある宗教(特に1⃣)を信仰し布教したりすることを禁じた2⃣が出された。学問については、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(3⃣)においては、4⃣だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた5⃣が出された。。出版については、1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した6⃣が出された。1⃣から6⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1612年、直轄領にある宗教の中で、特に信仰し布教することを禁止されたのは、キリスト教。なので、1⃣は、キリスト教。1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令が出された。なので、2⃣は、禁教令。幕府が、運営する聖堂学問所のことを昌平坂学問所と言う。なので、3⃣は、昌平坂学問所。1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁が出された。なので、4⃣は、朱子学。5⃣は、寛政異学の禁。1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令が出された。なので、6⃣は、出版統制令。正解は、1⃣は、キリスト教・2⃣は、禁教令・3⃣は、昌平坂学問所・4⃣は、朱子学・5⃣は、寛政異学の禁・6⃣は、出版統制令



授業をしている講師「正解。例えば、戦国時代、家臣相互の紛争を自分たちの実力による喧嘩で解決することを禁止し、全ての紛争を大名による裁判に委ねさせ、領国の平和を実現することにした喧嘩両成敗法が出された。時代が変わり、江戸時代は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令が出され、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書が出されたと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「戦国時代、家臣相互の紛争を自分たちの実力による喧嘩で解決することを禁止し、全ての紛争を大名による裁判に委ねさせ、領国の平和を実現することにした喧嘩両成敗法が出された。なので、戦国時代の内容は、。1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令が出された。また1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書が出された。なので、江戸時代の内容も。正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。明治時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「明治時代の始まりと終わりは、1868〜1912年



授業をしている講師「そうだよね。今回だけで明治時代の制度を勉強した場合、日本史を勉強することが嫌になる。なので、今回は、明治時代の太政大臣以前の時代の制度について勉強することにする。明治時代の太政大臣は、誰だったかな

授業を受けている生徒「明治時代の太政大臣は、三条実美



授業をしている講師「そうだよね。三条実美は、何年から何年まで在任したかな

授業を受けている生徒「三条実美は、1871年~1885年まで在任した

授業をしている講師「なので、今回は、1868年~1871年までの制度を押さえる」

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師1868年~1871年までの制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「1868年~1871年までの制度は、8個ある。1つ目は、1868年3月、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が、公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調するために出された五箇条の御誓文。2つ目は、政府は、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の神仏習合を禁じ、神道を国教とする方針を打ち出した神仏分離令。3つ目は、1868年、全国の民衆に向けて、君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説いた。また徒党・強訴・キリスト教を改めて厳禁にし、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いだ五榜の掲示。4つ目は、1868年9月、明治と改元し、天皇一代に元号を一つとした一世一元制。5つ目は、1870年、天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を祭政一致の国家とする国家方針を示した大教宣布の詔。6つ目は、1871年、前島密の建議によって、飛脚に代わる官営の郵便制度。7つ目は、1871年、金本位制を建前とする新貨条例。8つ目は、1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した廃藩置県かな

授業をしている講師「そうだよね。廃藩置県の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「廃藩置県の結果、中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たった。府知事・県令が地方行政に当たった結果、国内の政治統一が完成した

授業をしている講師「そうだよね。新貨条例の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「新貨条例の結果、十進法を採用し、円・銭・厘を単位とする新硬貨を作った。しかし、実際には、開港場では、銀貨が、国内では、紙幣が主に使用されていた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した廃藩置県が行われた。廃藩置県が行われた後も旧大名である知藩事が、地方行政に当たったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「廃藩置県の結果、中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たった。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<明治時代の太政大臣以前の時代(1868年~1871年)までの制度について>
五箇条の御誓文→1868年3月、公議世論の尊重と開国和親など新政府の国策の基本を示し、天皇が、公卿・諸侯・もろもろの官を率いて神々に誓約する形式をとって天皇親政を強調するために出された

神仏分離令→政府は、王政復古による祭政一致の立場から古代以来の神仏習合を禁じ、神道を国教とする方針を打ち出した

五榜の掲示→1868年、全国の民衆に向けて、君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説いた。また徒党・強訴・キリスト教を改めて厳禁にし、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いだ

一世一元制→1868年9月、明治と改元し、天皇一代に元号を一つとした

大教宣布の詔→1870年、天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を祭政一致の国家とする国家方針を示した

官営の郵便制度→1871年、前島密の建議によって、飛脚に代わる

新貨条例→1871年、金本位制を建前とする
十進法を採用し、円・銭・厘を単位とする新硬貨を作った
実際には、開港場では、銀貨が、国内では、紙幣が主に使用されていた

廃藩置県→1871年7月、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した
中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たった
府知事・県令が地方行政に当たった結果、国内の政治統一が完成した

基礎歴史ブログ3

【基礎日本史講座:80講】江戸時代の制度を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の制度を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、安土桃山時代の制度を押さえるについて話しました。安土桃山時代の制度は、何があったかな

授業を受けている生徒「安土桃山時代の制度は、4つあった。1つ目は、1587年、豊臣秀吉が、宣教師の国外追放を命じたバテレン(宣教師)追放令。2つ目は、1588年、豊臣秀吉が、一揆を防止し、農民を農業に専念させるために出した刀狩令。3つ目は、1588年、豊臣秀吉が、倭寇などの海賊行為を禁止した海賊取締令。4つ目は、1590年、豊臣秀吉が、武家奉公(兵)が町人・百姓になること、百姓が商人・職人になることを禁じた人掃令(身分統制令)

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1588年、織田信長が、一揆を防止し、農民を農業に専念させるために刀狩令を出したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1588年、刀狩令を出したのは、豊臣秀吉。なので、正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の制度を押さえるについて話します。江戸時代の制度は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「江戸時代の制度は、23個ある。1つ目は、1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた禁教令。2つ目は、1615年、大名の居城を1つに限った一国一城令。3つ目は、1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した禁中並公家諸法度。4つ目は、1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した武家諸法度。5つ目は、1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度の寛永令。6つ目は、1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された田畑永代売買の禁止令。7目は、1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された寺院法度。8つ目は、1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した諸宗寺院法度。9つ目は、1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された諸社禰宜神主法度。10個目は、1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された分地制限令。11個目は、1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた服忌令。12個目は、1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた生類憐みの令。12個目は、1715年、貿易額を制限した海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)。13個目は、1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する相対済し令。14個目は、1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた公事方御定書。15個目は、1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された棄損令。16個目は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した旧里帰農令。17個目は、1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた寛政異学の禁。18個目は、 1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した出版統制令。19個目は、1825年、外国船を撃退するように命じた異国船打払令(無二念打払令)。20個目は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する人返しの法。21個目は、1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした上知令。22個目は、1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天保の薪水給与令。23個目は、1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた五品江戸廻送令かな

授業をしている講師「そうだよね。どうして寺院法度を出したのかな

授業を受けている生徒「寺院法度を出した理由は、宗派ごとに本山・本寺の地位を保障し末寺を組織させる本末制度のため

授業をしている講師「そうだよね。棄損令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「棄損令の結果、米の売却などを扱う札差に貸金を放棄させた

授業をしている講師「そうだよね。上知令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「上知令の結果、譜代大名・旗本に反対され、上知令は実施されなかった

授業をしている講師「そうだよね。五品江戸廻送令の結果、どうなったかな

授業を受けている生徒「五品江戸廻送令の結果、輸出向け商品を取り扱った在郷商人・商取引の自由を主張する列国の反対で効果が上がらなかった

授業をしている講師「そうだよね。例えば、教師Aと学生Bの会話です。A「1⃣と2⃣の違いは、何かな」B「1⃣は、1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励しました。2⃣は、1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制しました」1⃣・2⃣を埋めなさい問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励のは、旧里帰農令。1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制したのは、人返しの法。なので、正解は、1⃣は、旧里帰農令・2⃣は、人返しの法

授業をしている講師「そうだよね。江戸時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の始まりと終わりは、1603年~1868年



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の制度を押さえるについて話しました。次回は、明治時代の制度を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の制度について>
禁教令→1612年、直轄領にある宗教(特にキリスト教)を信仰し布教したりすることを禁じた

一国一城令→1615年、大名の居城を1つに限った

禁中並公家諸法度→1615年、徳川家康は、朝廷運営の基準を明示した

武家諸法度→1615年、建武式目・分国法などを基に作成し、徳川家康が、徳川秀忠の名で発布した

寛永令→1635年、徳川家光が、諸大名に法度の遵守を厳命した新たな武家諸法度

田畑永代売買の禁止令→1643年、年貢・諸役の徴収を確実にするために出された

寺院法度→1665年、仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として出された

諸宗寺院法度→1665年、宗派をこえて仏教寺院の僧侶全体を共通に統制するために出した

諸社禰宜神主法度→1665年、公家の吉田家を本所として統制するため、神社・神職に対し、出された

分地制限令→1673年、分割相続による田畑の細分化を防ぐために出された

服忌令→1684年、近親者に死者はあった時、喪に服したり忌引をする日数を定めた

生類憐みの令→1685年、徳川綱吉は、生類全ての殺生を禁じた

海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)→1715年、貿易額を制限した

相対済し令→1719年、続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴えさせず、当事者間で解決する

公事方御定書→1742年、判例に基づく合理的な司法判断を進めた

棄損令→1789年、松平定信は、改革政治を進める幕府役人・幕領代官などを担う旗本・御家人たちの生活安定をさせるために出された
米の売却などを扱う札差に貸金を放棄させた

旧里帰農令→1790年、正業を持たない者に資金を与え、農村に帰ることを奨励した

寛政異学の禁→1790年、幕府が、運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることにし、その他の学派は、異学と位置づけ、教えることを禁じた

出版統制令→1790年、風俗に悪影響を与えるもの・噂話を盛り込んだ本を貸し出すことを禁止した

異国船打払令(無二念打払令)→1825年、外国船を撃退するように命じた

人返しの法→1843年、百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制する

上知令→1843年、水野忠邦は、従来分散していた幕府直轄領(天領)を江戸城・大坂城の最寄りに集中することを定め、幕府の権力を強化しようとした
譜代大名・旗本に反対され、上知令は実施されなかった

天保の薪水給与令→1842年、漂着した外国船には、薪・水・食料を与えるとした天

五品江戸廻送令→1860年、生糸・水油などの品をは、必ず江戸の問屋を得て輸出するように定めた
輸出向け商品を取り扱った在郷商人・商取引の自由を主張する列国の反対で効果が上がらなかった

基礎歴史ブログ3