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【基礎日本史講座:109講】江戸時代の諸外国との関係を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の諸外国との関係を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の蝦夷との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の蝦夷との関係は、7つあった。1つ目は、1604年、松前氏は、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた。2つ目は、和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、商場(場所)と呼ばれ、交易収入を家臣に与えていた。3つ目は、1669年、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い。4つ目は、田沼意次は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた。5つ目は、1798年、近藤重蔵・最上徳内らに択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱をたてさせた。6つ目は、1807年、蝦夷地の開発や防衛は、松前藩に任せた。7つ目は、1808年、間宮林蔵や松田伝十郎を樺太へ派遣した



授業をしている講師「そうだよね。例えば、1⃣は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた。1⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させたのは、田沼意次。1⃣は、田沼意次。なので、正解は、1⃣は、田沼意次

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の諸外国との関係を押さえるについて話します。江戸時代の諸外国との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の諸外国との関係は、2つある。1つ目は、幕府は、ルソン・トンキン・アンナン・カンボジア・タイなどに渡航する商人たちに海外渡航を許可する朱印状を与えた。2つ目は、朱印船貿易が盛んになると、海外に移住する日本人も増え、南方の各地に自治制を敷いた日本町が作られたことかな

授業をしている講師「江戸時代の諸外国との関係は、2つ以外に1つある。1つは、徳川家康は、国内統治者として佐渡をはじめ全国の主要な鉱山を直轄し、アンナン・ルソン・カンボジアに修好を求める外交文書を国の代表者として送ったことだよ

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師朱印状を携えた貿易船のことを何と言ったかな

授業を受けている生徒「朱印状を携えた貿易船のことを朱印船と言った

授業をしている講師「正解。例えば、朱印船と奉書船の違いを簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「朱印船は、海外渡航を許可する朱印状を携えた貿易船のこと。奉書船は、老中奉書という許可状を受けた海外渡航船のこと。なので、正解は、朱印船は、海外渡航を許可する朱印状を携えた貿易船のことです。奉書船は、老中奉書という許可状を受けた海外渡航船のことです



授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の諸外国との関係を押さえるについて話しました。次回は、明治時代のヨーロッパとの関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の諸外国との関係について>
徳川家康は、国内統治者として佐渡をはじめ全国の主要な鉱山を直轄し、アンナン・ルソン・カンボジアに修好を求める外交文書を国の代表者として送った

幕府は、ルソン・トンキン・アンナン・カンボジア・タイなどに渡航する商人たちに海外渡航を許可する朱印状を与えた

朱印船貿易が盛んになると、海外に移住する日本人も増え、南方の各地に自治制を敷いた日本町が作られた

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【基礎日本史講座:108講】江戸時代の蝦夷との関係を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の蝦夷との関係を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の琉球との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の琉球との関係は、3つあった。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った。3つ目は、琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する謝恩使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する慶賀使を幕府に派遣したことだった



授業をしている講師「そうだよね。例えば、1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の1⃣を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として2⃣との朝貢貿易を継続させた。1⃣・2⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として中国との朝貢貿易を継続させた。なので、1⃣は、尚氏。2⃣は、中国。正解は、1⃣は、尚氏・2⃣は、中国

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話します。江戸時代の蝦夷との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の蝦夷との関係は、7つある。1つ目は、1604年、松前氏は、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた。2つ目は、和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、商場(場所)と呼ばれ、交易収入を家臣に与えていた。3つ目は、1669年、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い。4つ目は、田沼意次は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた。5つ目は、1798年、近藤重蔵・最上徳内らに択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱をたてさせた。6つ目は、1807年、蝦夷地の開発や防衛は、松前藩に任せた。7つ目は、1808年、間宮林蔵や松田伝十郎を樺太へ派遣した







授業をしている講師「そうだよね。例えば、1604年、1⃣は、2⃣からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた。1⃣・2⃣をを埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「アイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いたのは、松前氏。松前氏にアイヌとの交易独占権を保障したのは、徳川家康。なので、1⃣は、松前氏。2⃣は、徳川家康。正解は、1⃣は、松前氏・2⃣は、徳川家康

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の諸外国との関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の蝦夷との関係について>
1604年、松前氏は、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制を敷いた

和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、商場(場所)と呼ばれ、交易収入を家臣に与えていた

1669年、アイヌの首長シャクシャインが松前藩の収奪に対し、全蝦夷地のアイヌを糾合して起こした。しかし、松前藩がアイヌの首長シャクシャインに勝ったシャクシャインの戦い

田沼意次は、最上徳内らを蝦夷地に派遣し、調査させた

1798年、近藤重蔵・最上徳内らに択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱をたてさせた

1807年、蝦夷地の開発や防衛は、松前藩に任せた

1808年、間宮林蔵や松田伝十郎を樺太へ派遣した

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【基礎日本史講座:107講】江戸時代の琉球との関係を押さえる

 こんにちは。

 「基礎歴史ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「江戸時代の琉球との関係を押さえる」について話して行きます。

基礎歴史ブログ4

授業をしている講師「前回は、江戸時代の朝鮮との関係を押さえるについて話しました。江戸時代の朝鮮との関係は、何があったかな

授業を受けている生徒「江戸時代の朝鮮との関係は、3つあった。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に己酉約条を結んだ。3つ目は、朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは朝鮮通信使と呼ばれたことだった



授業をしている講師「そうだよね。例えば、朝鮮との関係も時代とともに変化して行った。室町時代の朝鮮との関係は、2つある。1つは、朝鮮が通交と倭寇の禁止を日本に求め、3代目将軍1⃣が応じ、国交が開かれたこと。もう1つは、日朝貿易は、朝鮮側は対馬の2⃣を通して通交についての制度を定め、貿易を統制したこと。しかし、安土桃山時代の朝鮮との関係は、悪化に転じて行った。悪化に転じて行った出来事は、2つある。1つは、1592年(文禄元年)、3⃣が李氏朝鮮へ派兵し、行われた4⃣。もう1つは、1597年(慶長2年)、3⃣が明征服をめざして朝鮮を侵略した5⃣。しかし、江戸時代の朝鮮との関係は、回復に向かって行った。回復に向かって行ったことをあらわすことは、3つある。1つ目は、6⃣が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をしたこと。2つ目は、1609年、対馬藩主2⃣は、朝鮮との間に7⃣を結んだこと。3つ目は、朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは8⃣と呼ばれたことだったこと。1⃣から8⃣までを埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「室町時代、朝鮮が通交と倭寇の禁止を日本に求め、国交が開いたのは、3代目将軍足利義満。なので、1⃣は、足利義満。日朝貿易は、朝鮮側は対馬の宗氏を通して通交についての制度を定めた。なので、2⃣は、宗氏。1592年(文禄元年)、李氏朝鮮へ派兵したのは、豊臣秀吉。1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が氏朝鮮へ派兵し、行われたのは、文禄の役。1597年(慶長2年)、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮を侵略したのは、慶長の役。なので、3⃣は、豊臣秀吉。4⃣は、文禄の役。5⃣は、慶長の役。江戸時代、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をしたことのは、徳川家康。なので、6⃣は、徳川家康。1609年、対馬藩主宗氏は、朝鮮との間に結んだのは、己酉約条。なので、7⃣は、己酉約条。朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは朝鮮通信使と呼ばれた。なので、8⃣は、朝鮮通信使。正解は、1⃣は、足利義満・2⃣は、宗氏・3⃣は、豊臣秀吉・4⃣は、文禄の役・5⃣は、慶長の役・6⃣は、徳川家康・7⃣は、己酉約条・8⃣は、朝鮮通信使





授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話します。江戸時代の琉球との関係は、どうかな

授業を受けている生徒「江戸時代の琉球との関係は、3つある。1つ目は、徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした。2つ目は、1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った。3つ目は、琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する謝恩使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する慶賀使を幕府に派遣したこと

授業をしている講師「そうだよね。1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、どうだったかな

授業を受けている生徒「1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った結果、薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として中国との朝貢貿易を継続させた

授業をしている講師「そうだよね。例えば、琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する慶賀使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する謝恩使を幕府に派遣したと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「琉球が、国王の代わりごとに派遣したのは、謝恩使。将軍が代わるごとに派遣したのは、慶賀使。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、江戸時代の琉球との関係を押さえるについて話しました。次回は、江戸時代の蝦夷との関係を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<江戸時代の琉球との関係について>
徳川家康が、朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復の交渉をした

1609年、琉球王国は、薩摩の島津家久の軍の征服をされ、薩摩藩の支配下に入った
薩摩藩が通商交易権を掌握し、琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位に就かせ、独立した国王として中国との朝貢貿易を継続させた

琉球は、国王の代わりごとに国王の就任を感謝する謝恩使、将軍が代わるごとに将軍が変わったことを奉祝する慶賀使を幕府に派遣した

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